313.婚約破棄攻防戦2
「でもさ。雪村が、自分の意思で「戻らない」って伝えたんだろ?」
人払いした桜姫の部屋で、桜井くんが考えながら口を開いた。
私たちが居ない間に話が進んで驚いているのは、桜井くんも同じだろう。
「そんなの雪村の忖度だよ。私が「本当は帰りたくない」と思っているのを察して」
「いやあ。でも他ならぬ『雪村が』言っているんだから、それでも良くない?」
「良くない。大阪夏の陣が終わってから『雪村』に戻れば、生き残る可能性があるんだから」
『大阪夏の陣』以降に男に戻れば、雪村は生きながらえる可能性があるんじゃないかと私たちは思っていて、そのつもりで女の身体のままでいる。
でも兄上から話を聞く限り、『雪村』はその事には触れていない。
……気を使ってくれた。私が残りやすいように根回ししてくれた、としか思えないじゃないですか。
それなら私は、ますますそれに甘える訳にはいかない。
「でもさ、男に戻っても、結局『歴史の修正力』が働いて、事故か病気で死ぬ可能性もあるんじゃない?」
「そこは今、清雅で確認中だよ。船上での死亡を回避して随分たつけど、他の死因にすり替わって死んではいないよ。今のところ」
「なかなか容赦ない事を言っているな……」
歯切れ悪く呟いて、桜井くんが頭を掻いた。
少し前までは、私が現世に帰る事にも、雪村を戻す事にも賛成していた筈なのに、遠回しではあるけれど「雪村を戻さなくてもいい」って意見に変わっている……?
頭を掻いていた桜井くんが、ちろりと目線を上げて私を見た。
「ちなみに雪はそれでいいの? 兼継、婚約が成立して すごく喜んでいるけどさ」
そこなんだよ。ゲームでは恋愛に淡白なキャラだったから、婚約破棄なんて簡単に応じてくれると思っていた。
そもそもこの縁談だって、首藤から庇ってくれただけの成り行きだ。
……私は『雪村』だから、兼継殿との恋愛イベントなんて発生する訳がない。
友達でいようって決めたのに、簡単に決心が揺らいでいる。でも……
「この件は陰虎様にも知られているからね。婚約破棄は兼継殿の方からして貰わないと体面が保てない。これ以上、迷惑はかけられないよ」
「でもさ、その兼継が「婚約破棄はしない」って言っているんだろ? 迷惑だなんて思ってないよ。むしろあっちの方が前のめりじゃん」
「……うう……」
真っ赤になって俯いた私を見て、桜井くんがにやにやと冷やかしてくる。
「『悪役に攫われて大ピンチな場面で颯爽と助けに来る』なんて、乙女ゲームの王道みたいなイベントをぶちかましてきたんだ。トゥンク……ってなって当たり前だよ。あいつには、その責任を取らせてやりなよ」
前に、兼継殿の幼馴染のお坊さんと交した約束もある。婚約を喜んでくれるなら、こっちからは解消なんて出来ない。
でも。私がここに残ることを決めたら、兼継殿はきっと「自分が望んだからだ」と思い込む。そして、雪村が戻らなかったのは自分の罪だって事にする。
兼継殿の負担になりたくない。
だから やっぱり私は帰らなきゃ。
いつか私が現世に帰って、この身体が元の『雪村』に戻ったら。
幸せに暮らしている雪村を見たら、「この選択は間違いじゃなかった」って解って貰える日がきっと来る。
そしていつか兼継殿も お嫁さんを迎えるだろう。
子供が生まれて、孫が生まれて…… 血が繋がって。これで良かったと思う日が、絶対にくる。
それなら帰る事は最後まで伏せて、楽しい思い出を たくさんたくさん作ろう。
「私は現世に帰るよ」
へらりと笑って顔を上げる。
桜井くんには伝えておかなきゃならない。だって現世に帰るには、桜井くんの能力が必須だから。
案の定、桜井くんは困惑した顔で私を見返してきた。
「それ、本気で言ってんの?」
「うん。それでこの事は、兼継殿には最後まで伝えないよ。限られた時間を「帰る」「残れ」なんて、不毛なやりとりで浪費したくないしね」
「いやいやいや! 駄目だよ、それは」
「?」
どうして反対されるのかが解らない。
そんな私に、桜井くんが困り顔で首を振った。
「帰るつもりなら、兼継には話しておきなよ」
「え? でも、反対されたり、がっかりさせたりするかも……」
「そりゃ兼継はがっかりするよ。すごくすごくがっかりする。だからこそ隠さない方がいいんだよ」
「どうして? この事を話したら、きっと押し問答になる。喧嘩になるくらいなら、お別れするぎりぎりまで黙っていた方がいいんじゃないかな……」
「それも一理あるけどさ。雪も本当は解っているんだろ? それを知った時に兼継が、どれだけがっかりするかってさ。それを見たくないだけだよ。……やっぱりさ、兼継には伝えておきなよ。残された後の事を考えてやりなよ。心の準備は、絶望に対する最強の盾だ。知っているのと知らないのとじゃあ、ショックの度合が全然違う。兼継が好きなら、ショックは最小限に抑えてやりなよ」
「…………」
残された方の気持ち…… そこまでは考えていなかった。
黙り込んだ私を見て、桜井くんが慌てて明るい声を出した。
「まあ、答えはゆっくり出せばいいよ。『大阪夏の陣』なんて、まだまだ先の話じゃん。関ケ原だってまだなんだしさ。そもそも婚約したのは『真木遠縁の雪』って侍女だろ? モブだよモブ。ここはモブの方が恋愛イベントを頑張る世界なんだからさ、モブらしく頑張りなよ」
「そうか。私はモブだったか……」
気遣って笑い話にしてくれる桜井くんに感謝しつつ、私も神妙な顔をして頷いた。




