311.小田原征伐32
「先生が作った麻沸散で戻ったのです」
影勝様や舞田殿も交えた席で、私は『雪村』に戻った方法を説明していた。
美成殿から「病で女子の身体になっている」と聞かされても半信半疑だったらしい舞田殿が、「儂よりも大変な病ではありませんかな……?」と茫然としている。
「雪村、そろそろ」
ひと通り説明し終わったところで、そばに座っていた桜姫が耳打ちした。強い薬を使った後だから、副作用が出ていないか先生に診察して貰う事になっている。
私と桜姫はその場を失礼して、金髪先生が待つ部屋に戻った。
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「麻沸散で戻った」と、あの場では言ったけれど、半分本当で半分嘘だ。
「本当に黙っていて、良いのでショウか……?」
ポーズだけの診察をしながら、金髪先生が眉を下げた。
桜姫と小介も、黙ったまま座っている。
「うん。それでもしも兼継殿に何か聞かれたら「麻沸散は、材料不足で作れません」って答えて」
材料不足は本当だ。チョウセンアサガオの種子は使い切ってしまったから。
ただ、麻沸散が『雪村に戻れる』薬って訳じゃない。
上手くいくかは判らなかった。それでも残された時間も方法も無い。
先生が調薬した『麻沸散』。
私と桜姫は手を取り合い、それを飲んで昏睡した。
やがて起き上がった私は、『雪村』に戻っていた――
雪村に戻る為の『鍵』。
それを握っていたのは桜姫だった。
私たちは『雪村に戻る』条件は『深い気絶』と『エンディングに繋がるイベント』だと予想を立てていた。
『雪村』に戻れたのは、崖から落ちて意識を失った時で、その時は『バッドエンド』に繋がるイベント発生時だったから。
でも清雅を庇って刺された時、私は『雪村』に戻らなかった。
意識を失い、剰えそれが『清雅エンド』に繋がるイベントだったにも関わらず。
ずっとそれが繋がらなくて、解らなくて。
……麻沸散の試薬が出来たと聞いたあの日。
これがあれば任意で気絶が出来る。でもこれを使うのは怖いな。現世では麻沸散が完成するまでに、華岡青洲の奥さんが副作用で失明した筈だもん。麻酔も現世から持ち込めたら良かったのに、と考えて、やっと繋がった。
桜井くんはこの世界と現世、両方に存在するものなら、持ったまま転移することが出来る。
崖から落ちた時に一緒に居た桜井くんは、ほむらから落ちそうになった私を掴んだけれど、支えきれなかったと言っていた。
あの時、きっと桜井くんは『真田雪緒の意識』を掴んで世界間転移をしたんだ。
だから桜井くんがこっちに戻るまでの間は、私も現世に戻っていた。
そう考えれば辻褄が合う。
『雪村に戻る』条件は、桜井くんが世界間転移をする時に『雪緒の意識』を持ち帰ること。
そしておそらく、 桜姫がエンディングを迎える時。
この世界とお別れする時に『雪緒の意識』を持ち帰れば、私の意識は現世に戻ったままになって……
そして雪村は 男に戻る。
「どうすんの、雪村様? 越後の執政と婚約したって聞いたけど」
私が雪村じゃない事に気付いている小介が、珍しく躊躇いがちな声になっている。同じような表情で桜姫も頷いた。
どうしたらいいかなんて決まっている。
「私は『雪村』に戻る。でも許されるならもう少し、時間が欲しい。だからみんな、その時まで協力してくれる?」
みんな黙って頷いてくれたけど、私も今はどうしたらいいかなんて解らない。
でも帰る前に、何としても関ケ原の結末を変えたい。
東条は結局、相模から常陸へ国替えになった。
御館の乱で、北条景虎が生き残ったこの世界の歴史は、現世の『小田原征伐』とは違う未来を辿った。
それなら関ケ原も変えられる。きっと、たぶん、おそらく!!
私は必ず兼継殿の悲運を変えてから、現世に帰る。
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臥待月の月明かりが、しんしんと冷え込む牢に差し込んでいる。密やかな人の気配に、首藤は顔を上げた。
「――なんでオレが、こないな事になっとるんや。助けてくれるて言うたやないか」
「まずは確認したい。そなた、沼田で炎虎を見たか」
「そないなモン見てへんわ。なあ、オレはあんたの言った通りに」
「分かっておる。根回しする故、しばらく待て。……今夜は冷えるな。これは差し入れじゃ」
割れた宝玉は見せられた。
だが本当に炎虎は消滅したのか、確証が欲しくて仕掛けた策。
城が襲われる程の惨事にも召喚されなかったのなら、炎虎は消滅したと見て良い。
目的は達した。
あとは酒に混ぜた附子の毒が、男の口を塞ぐだろう。
差し出された瓢箪を奪い取り、酒を呷る首藤を最後まで見届けぬまま、人影はその場を立ち去った。
長々と続きましたが、小田原征伐のターン、終了です




