307.小田原征伐28
「――上洛、ですか?」
ぽかんとしている私の前には、憔悴し切った兄上と、苦虫を噛み潰したような顔の美成殿が、並んで座っている。
ちらりとお互いを見遣った後で、兄上がゆっくりと口を開いた。
「うん。富豊から上洛命令が来たんだよ。……『雪村』に」
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美成殿の話によると。
五大老、五奉行が揃った席で、陰虎様は今回の件について申し開きをした。
此度の件は家臣の独断、東条家は与り知らぬ事であると。上森の取り成しもあり、相模から常陸への国替えという措置で収まりそうになった矢先に、切腹を申し付けられた首藤が淡々と申し開きを始めた。
「自分は沼田城城代・真木雪村より、東条に下る旨を内々に伝えられていた。それを反故にされただけで、惣無事令に違反するつもりなどさらさら無かった」と。
そこまで言うならば証拠を出すように、と求められた首藤は「証拠は『真木雪村』自身。本人を上洛させ、詮議して欲しい」と言い張った。
では『下る内諾』を得ていた筈の雪村を斬ったのは、如何なる所存か。そも、城を襲った時点で惣無事令違反だと場が紛糾しかけたところで、黙って聞いていた徳山が口を開いた。
「ならばここに真木雪村を呼び、申し開きをさせれば良い」と。
「医師団の見立てでは、真木雪村は未だ予断を許さぬ状態だ。上洛させるなどとんでもない」
治療中の身を押して臨席した舞田殿も庇ってくれたけれど、「冤罪の可能性があるならば致し方ない」と徳山も引かなかったという。
深い吐息をついて、美成殿が髪を掻き上げた。
「あの男を見誤りましたね。東条殿が内部調査を行ったところ、首藤は徳山の調略を受けていた節があるそうですよ」
徳山にどんな意図があって、沼田城奪取を唆したのかは解らない。
ただ首藤が申し開きの場でも「真木雪村は女性だ。富豊を騙している」と、非難の矛先を変えてくると読んでいただけに、完全に裏をかかれた形になった。
「そうであれば楽だったのですがねぇ。乱心した、と切り捨てられますから」
かつて『花見の宴』が開かれた際、『雪村』は神子姫の護衛として上洛している。
桜姫を連れて城を脱出する『炎虎を従えた青年』を見た者は多く、その雪村が女子だと騒いだところで、誰も信じる訳が無い。
「こうなっては、雪村が上洛するしかないでしょうね」
美成殿も兄上も、そして私も、どうしていいか分からないまま、顔を見合わせた。
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「影勝様より、経緯は伺っている」
兼継殿が淡々と頷く。
『雪村上洛の件をどうするか』。美成殿と兄上が、兼継殿を呼び寄せて相談している席上で、私は兼継殿と目を合わせられないまま、しょんぼりと項垂れた。
「それで美成とも相談してさ。影武者をしていた家臣を『雪村』として上洛させる事にしたんだ。雪村は上方で、殆ど面が割れていないから。嘘をつかせて申し訳ないけれど、上森家も口裏を合わせて欲しい」
舞田殿と政所様には美成殿が手を回してくれて、口裏を合わせてくれる事になっている。少し眉を顰めて、兼継殿が兄上に向き直った。
「それは構わぬが、花押はどうするつもりだ。徳山殿は必ず、『雪村』である証拠の提示を求めるぞ」
「あ」
意表を突かれた顔になった兄上の隣で、美成殿が事も無げに言い放つ。
「影武者の右手を落せば良いでしょう。首藤に斬られたとでも言えば良い」
ドSな美成殿の言葉に、兼継殿も兄上も息を呑んで美成殿を凝視した。
……ここらが潮時か。
私はなるべく感情を出さないように注意しながら、兼継殿の方に向き直った。
「兼継殿。あとで少し、お時間を貰えませんか?」




