305.小田原征伐26
「何やら大きな勘違いをなさっているようだが、この娘は雪村ではない。真木縁者の娘で、名を雪と言う。侍女として仕えていた頃に見初めてな、内々で縁組の打診をしていたところだ」
きっと五年前も、こんな風に兼継殿は庇ってくれたんだろう。
また『雪村』は兼継殿に助けられた。
兄上や影勝様、更には陰虎様にまで、こんな嘘を言う羽目にさせてしまった申し訳ない気持ちと、助けに来てくれた嬉しさ。
それに「友達」でいようと決めたのに、と揺らぐ気持ちが綯い交ぜになったまま、私は茫然と兼継殿を見上げていた。
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あれからしばらく経って。
毒も抜けて元気になった私は、現在、上田に居る。
「やっぱり沼田は僕が治めるよ。今はまだ不安定だしね」
あんな騒ぎになったせいで、兼継殿並に過保護になってしまった兄上が、城主交代して沼田に行くと言い出してしまったのです。
中途半端なまま、任地を離れる事になってしまうけれど 仕方がない。
でももうじき関ケ原のフラグが立つだろうから、このタイミングで上田に戻るのは籠城戦の準備をする時間が取れて、都合がいいとも言える。
兄上が沼田に発つ前日。
他人行儀なまでに気遣ってくれる兄上に、私は深々と頭を下げた。
「兄上、この度は私が至らないせいでご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「えっ!? いや、ほら、今はそんな身体だしさ! 僕も弟のつもりで接していて、逆に申し訳ない事をしたよ」
確かに男だったら、あんないざこざは起こらなかった。慌てふためく兄上から目を逸らし、気付かれないように吐息をつく。
今までは女の身体だって事に無頓着だった兄上までこれだもん。事情を知っている兼継殿には、ますます心配をかけただろう。
「兼継殿にもご迷惑をお掛けしてしまいました。皆の前で、あのような嘘をつかせてしまって……。近いうちにお詫びに伺わなければ」
「え? 嘘? あれ……?」
歯切れの悪い兄上を見返すと、兄上も不思議そうな顔をして見返してくる。そしてふと、思い出したように口を開いた。
「そういえば。解毒の処置で君たちが出て行った後、首藤が気になる事を口走ったんだ」
「どのような事ですか?」
「徳山殿の名を出した。まさかこれも、徳山殿の調略なのか……?」
「しかし東条に沼田を襲わせて、徳山に何の益があるというのでしょう?」
「判らない。でも加賀殿のこともあるからね。真木が襲われるのは初めてじゃない」
「そうですね……。それで陰虎様は今後どうなさる御積もりか、兄上は何かご存じですか?」
「申し開きの為に上洛すると聞いた。あとは美成が上手くやるだろう。だから大丈夫だと思うけれど、やっぱり君をひとりにするのは心配だよ。だからって沼田に連れて行く訳にはいかないし。……ええと、その、僕が居ない間は、越後で保護して貰った方がいいんじゃない?」
「私をですか? 必要ありませんよ」
桜姫じゃあるまいし。そんな事をしている暇があるなら、徳山を迎え討つ方策でも考えていた方がいいよ。
笑って断ったけれど、兄上はまだもだもだしている。
「でもさ、縁組って話も出た訳だろ? 君に何かあったら、それこそ兼継に申し訳がたたないし」
「兄上。あれは兼継殿が庇って下さっただけです。あのような嘘が広まっては、直枝家にご迷惑がかかります。あ、もしかして陰虎様に誤解されて、内々に収めることが出来ないという事ですか? そうであれば兼継殿の方から婚約破棄を申し出て下さるよう、兄上からお伝え下さい」
「えっ! 僕が!? 僕にそれを言えっていうの!?」
「だって兄上は当主でしょ?」
兄上、あの縁談話を本気にしていたんだ?
笑ってあっさり切り上げたら、何故か兄上が頭を抱えて、膝から崩れ落ちた。




