303.小田原征伐24 ~side K~
ざわざわと遠くから騒めきが聞こえ、やがて慌てた様子の家臣の声が、障子越しに響いた。
「陰虎様、上方からお使者がいらしております……!」
家臣が差し出す文を開いた陰虎が、顔色を無くして立ちつくす。
『東条陰虎に、沼田城を制圧し城代暗殺を目論んだ、惣無事令違反の嫌疑がかかっている。申し開きがあるならば至急上洛し、釈明せよ』
石川 美成を筆頭とした五奉行連名の書状に、首藤も狐目を見開いた。
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「何でこないに早く、上方に知られているんや!?」
「今はもう、そのような事を言って居る時では無い。陰虎、急ぎ上洛して申し開きをしろ。家臣の独断とすれば、家の取り潰しだけは免れるやも知れぬ」
首藤を遮って陰虎を見据えた影勝が、改めて信倖に向き直り、頭を下げた。
「真木殿。お怒りはご尤もだが、これは同盟国の領主で俺の義弟だ。庇う事を許して欲しい」
「そのような。上森殿の助力があればこそ、おと……うちの者を見つける事も出来ました。こちらこそ御礼申し上げます」
こちらも頭を下げた信倖だったが、いろいろと思うところがありすぎて、歯の奥にものが挟まった物言いになっている。
それを遮るように、首藤が立ち上がって絶叫した。
「ふざけんな! オレが斬ったんは家臣や。何で雪村暗殺なんて話になってるんや! 雪村ならここにおるやろ!?」
「この娘は雪村ではないと、何度言えば解って貰えるのやら。己の策がならなかったからとて、往生際が悪いのではないか? 首藤殿」
「こいつは雪村や! お前らの言う侍女なんぞ存在せん。皆、兼継に口裏あわせとるだけや! そない言うなら証拠見せてみい。越後に『雪』ちゅう侍女がおったという証拠を!」
髪を振り乱し、半狂乱で喚く首藤から目を逸らし、影勝と信倖は押し黙ったままの兼継に視線を向ける。
静謐な瞳で首藤を眺めていた兼継が、淡々と口を開いた。
「首藤殿がこの娘を見初めたという市。私は「花姫に仕えている旧知の侍女と、そこで待ち合わせる旨の文を出した」とこの娘から聞いている。ならばこちらに居られるその侍女が、越後に『雪という侍女』が居た事を証言してくれるでしょう。――その侍女は何処に?」
「そういう事なら妻に聞けば分る。花をここへ」
「しかし陰虎様、それはおそらく」
家臣が陰虎にこそりと耳打ちし、陰虎が気まずそうに眉を下げる。
越後の侍女衆と繋がりがある侍女とは、安芸の事だ。
父である葛山を投獄した日の内に行方を眩ませた、花姫付の侍女。
逃げた娘を炙り出そうとでもしたのか、首藤の直臣が葛山の邸に火を掛けた。
その結果、病身の正室が逃げ遅れて焼死し、それを悲観した葛山は、この座敷牢で自刃している。
葛山は確かに武隈の間者をしていたが、上森の情報を武隈に流していたに過ぎず、東条を裏切った過去など無い。
それ故に、不問に付して重用してきたのだから。
やがて。
さやさやと衣擦れの音をさせて現れた女性が、影勝の前で頭を下げた。
「兄上、お久し振りにございます」
「花か」
「だから言ったではありませんか、殿。首藤の言う事はおかしいと。あのような話を真に受けては、後々後悔する事になりますよ、と」
顔の造形が似ている訳ではないが、無表情なところがよく似ている影勝の妹姫は、項垂れる夫に小さく吐息をついた。そして袂から二通の文を取り出す。
「安芸の部屋に残されていました。『越後の雪』からの文です」
「……!」
飛びつくように文を奪い取り 中を検めていた首藤が、がくりと膝をついた。
それは雪村が越後経由で送った 一連の文。
兼継が言う通り、相模の市で待ち合わせる旨の遣り取りが認められていた。




