300.小田原征伐21
肌を這う唇の感触が気持ち悪い。必死で声を呑み込んで身を捩ると、くすくす嗤いながら、首藤が耳元に口を寄せてきた。
「――なあ。こーいうコト、兼継ともしたことあんの?」
18禁モードに入ったらしいエロ狐が、無駄にいい声で囁いてくる。
言われてみれば、この身体になった直後にそんなイベントがありましたが、兼継殿と済ませておけば良かったと絶賛後悔中ですよ。
あの時に『雪村』に戻っていれば、こんな目に遭う事も無かったのに、と。
いっそ『雪村』に任せたらいいんじゃないか、って気持ちも心を過ぎる。
私には無理でも今、『雪村』に戻ったら、きっと首藤をやっつけてくれるって。
ああ、でもここで戻されたら……私は兼継殿に、お別れも言えないまま帰ることになる。
それに、兼継殿と約束をしていたんだった。
「兼継殿以外の相手で『雪村』に戻らない」って。
これは『兼継ルート』のイベントだから、他の男の人とそんなことをする訳ない。戻るなら、相手は兼継殿しかありえないって思っていた。
でも私が兼継殿のイベントを捻じ曲げて、いつまでも女のままでいたせいで、相手なんて誰でもいいから『雪村』を男に戻そうって力が……
『歴史の修正力』が働いたのかも知れない。
いつも私は兼継殿の忠告を活かせなくて、迷惑をかけてばっかりで。
それなのに、その約束まで破ったら。
『兼継ルート』のイベントを、よりによって首藤に許してしまったら、きっと兼継殿は悲しむ。
――そんな事は 絶対に出来ない。
意を決して首藤の身体をそっと押し返すと、眉を顰めた狐目が私を見下ろした。
「あの……っ やっぱり、これ以上は……」
「今更ソレが通用すると思ってる? ちゅうか、そんな可愛い顔して懇願されたら、止められる訳あれへんやろ?」
「やだ、やめて……っ!」
「あはは! なかなか可愛い声を出すやん」
「いやあああ!」
さすが変態。拒絶は逆にご褒美らしい。
ノリノリにノってきた首藤に悲鳴をあげて、私はぼんやりと考えた。
嫌がっている振りをしながら、さりげなく後頚部に触れると、 首藤がちょっと身を捩る。
まずい、さっき髪を引き抜いたせいで警戒されたか?
慌てて手を離すと、首藤がモブのくせにやたらイイ声で囁いてきた。
「なあ。兼継って…… いつ頃からあんたが女やって気づいてたの?」
この人、兼継殿の事ばっかり聞いてくるな。兼継殿はあなたのような変態エロ狐とは違って、18禁乙女ゲームですらエロが無かったような聖人君子ですよ。
……ん? ちょっと待て。
ぎくりとして私は 首藤のつむじを見つめた。
首藤って別に『雪村』が好きな訳じゃないのに、兼継殿への嫌がらせの為だけに、こんなコトをしているって事だよね?
五年前も今も!?
……もしかしてこれ『嫌い』を拗らせている 歪んだ愛情というやつでは……!?
ま、まずい、変態の真の狙いは兼継殿だ! 大ピンチですぞ!!
そしてBL狐の拗らせ嫉妬の犠牲になりそうな私、かわいそう!!
――許せん。そして何よりこの変態狐から、兼継殿を守らねば。
躊躇う気持ちが消えていく。怖いって気持ちが薄れていく。
現世の倫理観よ、さようなら。
「あ……んっ……」
自分史上最高にエロい喘ぎ声を出して、首藤の首に腕を回すと、観念したと思ったのか、オオカミになった狐がヤる気まんまんで襲ってきた。
雪村になんか興味ないって言ってなかった? とツッコみたい気持ちはあるけど、今はそれどころじゃない。
抱き寄せるように頭に触れ、髪を搔き乱しながら指を這わすと、男の割には細めの少し熱っぽいうなじに触れた。
警戒を解いたのか 行為に夢中になっているのか、振り払う素振りはない。
――今だ!
がしりと首藤の頭をホールドした私は、挿していた花簪を髪から引き抜き、首藤のうなじに思いっきりぶっ刺した。
「っつ!?」
首藤が私の上から飛び退いて、私も即座に身を捻ってその場から逃れる。
――仕留め損ねた!
血が付いた花簪を構えたまま、私は悔しさと絶望と、ほんの少しだけの安堵が綯い交ぜになった複雑な気持ちで、首藤を睨みつけた。
「こんなコトするのは嫌でしょうが、死ぬよりマシだと割り切って下さい」
そう言われて、古流柔術とは別に根津子から教わった、 護身術のひとつ。
敵を誘惑して油断を誘い、急所に一撃を加える技。
この技を使えば相手が死ぬ。それが怖くて躊躇っていた。
正当防衛だって割り切ったつもりでいたのに、兼継殿のピンチだから頑張れるって思っていたのに しくじった。
「てめえ……覚悟はできているんだろうな」
首を押さえた首藤が、蒼白な顔で睨みつけてくる。
肌がちりちりするような本気の殺気に、全身が総毛立った。
どうしよう、もう打つ手が無い。
怖い。
――たすけて 兼継殿




