295.小田原征伐16
視線変更ごとに切ると短くなるので、雪村目線と第三者目線を纏めています。
「――雪村様! 何で戻って来たの!!」
右手の脇差に血が付いている。足元に倒れた武士を、私は茫然と見下ろした。
小介が首藤を蹴り飛ばして距離を取り、私を背中に庇ったまま後退る。
私が『雪村』じゃないと気付いている小介は、動けないのも怖がっているせいだと気付いたんだろう。殊更にのんびりとした声で囁いた。
「でも、ありがとね。おかげで助かっちゃった」
「ははっ! えらい大儀そうやんか、雪村! せっかく家臣が逃がしてくれたのに、それじゃあ只の足手まといやろ?」
「黙れ! 大名同士の私闘は禁じられています。この事を陰虎様はご存じなのですか!?」
「お前に言われんでも、そないな事は知っとるわ。惣無事令やろ? 何も『大名同士の戦』だとバレなければええだけの話とちがうか!?」
「ここに居るのは兄が選り選った、信を置ける家臣たちです。東条如きに調略されて内輪揉めなどありえません!」
「アホか。人間なんて裏切る生き物や。地位でも金でもちらつかせれば、どうとでも転ぶわ」
首藤が呆れたように嘲笑う。
解っているよ、そんなこと! 時間稼ぎをしても援軍の当てなんて無いけれど、こうして隙を探るしか方法が無い。
そして兼継殿が手を焼いていた相手だけあって、何を考えているのかが全然解らない。
台詞から察するに、最初から『内輪揉めで全滅』を装うつもりは無かったようだけど、じゃあどうやって惣無事令違反を回避するつもりなんだろう。
「貴方はいったい何を考えて」
「雪村様!」
小介の絶叫。振り向くとそこには、刀を振り翳した男の姿があった。
さっき倒した筈の武士、首藤に意識を集中していたせいで 気付くのが遅れた。
いや、こうする為に首藤は、自分に意識を向けさせていたのかも知れない。
「……っ!」
私を突き飛ばして、寸での所で刃を受け止めた小介の身体に、音もなく間合いを詰めてきた首藤の刃が突き立った。
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「……小介?」
ゆっくり崩れ落ちる小介を 私は茫然と見つめていた。
「小介…… 小介! 小介!!」
ぴくりとも動かない身体に取り縋り、必死で名前を呼ぶ。
映画の中のワンシーンでも見ているみたいで 見えている光景、すべてが現実味を帯びていない。
「と、殿様が……! ひいいっ!」
いつから居たのか、ひとりの領民が藪から飛び出し、悲鳴を上げて逃げていく。
追おうとした家臣を止め、ちらりと目で追った首藤が大袈裟に溜め息をついた。
「ああ、見られてもうた。内輪揉めで全滅~は出来へんくなったな。しゃあないわ。当初の予定通り連れて行くか」
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「――どう言うこと?」
「どう言うもこう言うも、言葉通りの意味ですよ。予兆は無かったのですか?」
「東条の評定で、沼田の話題が出たとは聞いた。けれど『同盟の打診』と聞いたよ? いきなりこう来る?」
「油断しましたね。ただ少人数での襲撃で、その後、相模から援軍が出された様子は無い。あちらは戦を仕掛けたという認識ではないのかも知れませんよ」
「戦だろ。これは」
ゆらりと立ち上がり、信倖は美成を見下ろした。
「売られた喧嘩を買うだけ。これは惣無事令に違反しない。その認識でいいね?」
「当たり前でしょ」
「上等だ!」
いつもの穏やかな雰囲気が消えている。
そうそう見る機会のない信倖に、美成が軽く目を見張った。
「至急、出陣する。騎兵のみ纏めろ!」
獅子が吠えるような励声一番に、主の声を待ち構えていた家臣たちは、一斉に場を散開した。
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「そろそろ沼田では秋祭りがある頃ね。あちらに滞在していたかったわ」
美成からの早馬が越後に到着したのは、稲穂が黄金に輝くうららかな秋の昼下がりだった。
『沼田城が東条に襲撃された』
それだけの内容だったが、上森の中枢を激震させるには十分だった。
東条の惣無事令違反。
それは東条と同盟を結んでいる上森が、今後どのような立場を取るかの選択を迫られた事を意味した。
そして美成からの情報という事は、この件が既に上方に伝わっているという事も。
「相模に行く。兼継、ついて参れ」
僅かに眉を寄せて文から目を上げた主君に、兼継は深々と頭を下げた。




