294.小田原征伐15
流血表現があります。
苦手な方はしばらく閲覧をお控え下さい。
「はは! 飲んだ、飲んだな!? ざまあみやがれ!!」
「おい、何だ、これ!?」
井戸の縁に置かれた桶。その中から小介が掴み出したものは、濡れそぼった白い花だった。まっすぐな茎に、鈴に似た花が項垂れている。
見覚えがある、小さな可愛い花……これ、鈴蘭の花だ!
「っ!?」
蹲って喉に指を突っ込む。飲んだ水を吐き出したいのに、咳き込むばかりで全然吐き出せない。
冷や汗が出てきて 急に胸が苦しくなる。身体に力が入らない。
「雪村様! 門馬、てめえ!」
駆け戻ってきた小介が抱き支えてくれて、私はくらくらと揺れる視界で哄笑する 人影を見つめた。
東条に、首藤に調略されていたのは眞下だけじゃなかった。
――門馬くんもだったのか!
私に対する態度は悪くても、兄上への忠心はあると思っていたから、まさかこんな事をするとは思わなかった。
ぜえぜえと息を荒げた門馬くんが、血走った目を見開いたまま、腰に下げた竹筒に手をかける。
「あいつの言った通りだ。黒鈴蘭の解毒薬があって良かったよ。本当にあんた、最後まで俺を信用しなかったな。馬鹿は死ななきゃ治んねーよ、あの世で後悔しな!」
「よこせ!」
小介が絶叫して手を伸ばし、家臣たちが一斉に門馬くんに取り付いたけど、一瞬間に合わない。
門馬くんが げらげら嗤いながら竹筒を呷る。
私は何も出来ないまま、 絶望的な気分でそれを眺めていた。
鈴蘭の毒と黒鈴蘭の解毒。
前に兼継殿が言っていた、越後の忍びが使う『拐かしの毒』だ。
御館の乱の時に、東条に漏れたかも知れないって。気をつけろって言われていたのに。また私は失敗した……!
嗤っていた門馬くんの口の端から、つっとひと筋の血が流れ落ちた。
「……あれ?」
次の瞬間、ごふりと嫌な音がして、口から大量の血が溢れ出る。
真っ赤に染まった口と掌を眺めて、門馬くんが茫然と呟いた。
「何で……?」
「黒鈴蘭なんて貴重なモン、お前なんぞにやる訳ないやろ。追い毒や、追い毒。死にさらせ」
民家の背後の藪から、商人の装いをした男たちが出てきた。ざっと十数人は居る。
手には抜き身の刀を握っていて、ここで待ち伏せていたのが一目瞭然だ。
足に縋り付く門馬くんを蹴り飛ばし、狐みたいな目の人がこっちに向き直った。
「殺したら面倒な事になるかなァって思っとったけど。家臣の裏切りで全滅~って事にしたらええんとちがう? これ」
あ、よく見たらこの顔は『雪村』の記憶にある。
嘘っぽい関西弁と狐に似た細面。全然話したことは無いけれど、やたらと兼継殿に絡んでいた人。それで印象に残っている。
やっと顔と名前が一致した。この人が『首藤』だ。
私は息苦しい胸を押さえて首藤を見上げた。
この状況、安芸さんを追って来たようには見えない。いったいこの人は、何をするつもりなんだろう。
『安芸さんの父君を反間に仕立てて、雪村を暗殺する』
そんな偽装をした後で、両方とも始末するっていうならまだ解る。でもそれなら、安芸さんの父君を捕らえたままにする訳がないし、そもそもこの状況、思いっきり惣無事令違反だ。それが解らない訳が無いと思うんだけど……。
いや、今はそんな事はどうでもいい。
ここを切り抜けないと、沼田城を落とされた挙句に殺されるバッドエンド確定だ。
でも毒を盛られて身体が上手く動かないのに、どうしたらいい?
「雪村様。苦しいだろうけど、俺らが食い止めている間に逃げて下さい」
「……走れ、ない かも」
「走れなくても、逃げて。ちょっと人数多すぎっすよ。あんまり時間、稼げないからさ」
小介は困り顔でにかりと笑ったけれど、私は笑い返す事が出来なかった。
「小介、ごめん」
「ほら、すぐ謝んないの。大将が生きてりゃ負けじゃない。俺ら、その為の家臣よ?」
ばん! と背中を強く叩かれて、私は必死で足に力を込めた。
同時に背後で剣戟が聞こえてくる。
ふらふらして足に力が入らない、全然走れない。
やっぱり無理だよ。
泣きたい気持ちを堪えて振り返ると、首藤を相手取っていた小介の背後で、大柄な相模武士が刀を振りかざすのが見えた。
大雑把な用語説明
反間:敵の間者を逆に利用して、敵の裏をかくこと(goo辞典より引用)
鈴蘭:青酸カリより強い毒だそうです。が、そんなの飲んで動けるのか……?
そこは黒鈴蘭の存在ともども、異世界設定ってことでお願いします。




