291.小田原征伐12
「俺が預かりましょう」
氷みたいに透き通った声がして、美成殿が部屋に入ってきた。
「美成殿?」
「陽が昇ったら、石川家の侍女として堂々とここを出る。大丈夫、東条ごときに治部少輔・石川美成を尋問などさせませんよ」
ドSな微笑みを張り付かせて、美成殿が腕を組む。無関係な美成殿を巻き込むのは気が引けるけれど、そんな事を言っている場合じゃない。
それどころか、天の助けかと思うほどに有難い。
「美成殿、巻き込んでしまって申し訳ありません。ありがとうございます!」
「良いのですよ。ちょうど彼女のような人材を探していた。俺の友人で小谷という男がいるのですが、病を患っていてね。看病に長けた侍女を探しているのです。聞くところによると、貴女は病人の看病に長けているようだ。此度の件のほとぼりが冷めるまで、越前・敦賀に行く気はありませんか?」
無関係な人に匿って貰えれば、安芸さんの行方を眩ませられる。良かった!
「雪村……」
「是非そうして下さい。生きてさえいれば、またお会いする事も叶いましょう。美成殿、よろしくお願いします」
「……分りました。よろしくお願い致します」
何としても安芸さんを助けなきゃ。
私は指先が冷え切った安芸さんの手を握って頷いた。
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陽が昇るまでの短い間、少しだけ時間を貰って、私は安芸さんを部屋に呼んだ。
休ませた方がいいのは解っているけれど、話せるチャンスは今しか無い。
私は棚の文箱から、百日草を模した花簪を取り出した。
前に安芸さんが『首藤に気をつけろ』とメッセージを込めて送ってくれたものだ。
「今は十分な支度を整える時間がありません。せめてこれをお持ち下さい。何かあれば換金出来るでしょう。せっかく何度も文で報せて下さったのに、このような事態になってしまい、本当に申し訳ありません」
恐縮する私に、安芸さんが微笑みながら首を横に振る。
「いいえ、これは雪村が持っていて? 百日草には『不在の友を想う』と言う花言葉もあるの。きっと雪村を守ってくれるわ」
「……分かりました。安芸殿、ありがとうございます。この事態を無事に切り抜けて、いつかまた笑って会いましょう。ですから安芸殿も、その時までどうかご無事で」
いっぱいいっぱいで泣きそうな私の髪に、安芸さんが優しく花簪を挿してくれた。
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陽が昇るのを待って、美成殿一行は素知らぬ顔で邸を出立した。
城下は祭りの喧騒に包まれていて、領民たちが楽しそうに笑いさざめいている。
「美成殿。安芸殿のこと、くれぐれもよろしくお願いします」
「心配性ですね。俺を信じなさい?」
「美成殿って、けっこう女性に意地悪だから」
「そう? 興味がない娘には、わざわざ構ったりはしませんよ」
こそりと囁く私に、緊張感の欠片もない様子の美成殿が艶やかに微笑む。美成殿はドSだから、もしかしたらこの事態を楽しんでいるのかも知れない。
やがて関所が見えてきた。見送りもここまでだ。
名残惜しい気分で立ち止まると、ちょうどそこに別行動を取っていたらしい美成殿の家臣が追い付いた。
美成殿がちょっと悪い顔で くすりと笑う。
「少々、気になる事がありましてね。周辺の偵察といったところでしょうか」
「申し上げます。相模の関所を通った商人風の集団が、沼田城方面に向かいました。武装している訳ではありませんが、荷を持ち込んでいる様子もなく……」
「なるほど。やはりね」
顎に手を添えて、美成殿がちらりと私を見る。
「雪村、心当たりは?」
「近日中に上方の商人が、城に置いてある反物の回収に来る事になっていました」
「上方の商人が相模方面から、というのはおかしいですね」
「はい。それにその商人なら、長櫃を運び出す棹を持ち込む筈です」
「やはり商人を装った武士の可能性がある。しかし丸腰で何をするつもりでしょう。気になりますね。お前たちは先に進め。雪村、戻りましょう」
「はい」
表情を曇らせた美成殿に促され、私は嫌な予感を振り払って後に続いた。
――その頃の沼田城では、すでに大変な事が起きていた。
要するに私たちは 間に合わなかったのだ。
名前だけ出演の大谷吉継モデル




