290.小田原征伐11
「雪村様!」
慌てふためいた右筆たちが厨に飛び込んで来たのは、秋祭りを翌日に控えた昼前だった。
ちなみに今日の午後には美成殿が到着する予定で、私は厨勤務の家臣たちと、接待の食事について打ち合わせをしているところだった。
「どうしたの?」
「先程、書庫に行きましたら、棚の奥から文が多数見つかりました! 至急、返事を送らねばならないものもあり……。我々で早急に書き直しますから、雪村様は確認と花押をお願いします!」
「ええっ!? どういう事?」
「送り忘れた文を隠したのでしょう。手蹟から察するに、おそらくは門馬かと」
「まだどこかに隠しているかも知れません。一度、呼びつけて吐かせます!」
そういえば門馬くんには、謹慎を言い渡したままだった。
こくりと頷くと、右筆たちが慌ただしく部屋を出て行く。食事の準備は侍女たちに任せ、私も慌てて部屋に戻った。
+++
「せっかく来ていただいているのに……美成殿、申し訳ありません」
これを片付けなければ接待に専念出来ない。私は謝罪しながら、いそいそと花押を書き入れていた。
その側では頬杖をついた美成殿が、にやにやと笑っている。
「何だ。随分と『城代らしく』なっているじゃないですか。兼継からは「見た目を気にしてか、自信を持てずにいるようだ」と聞いていたのですがね」
「今だって自信はありませんよ。城下の視察に出る時は、男だった頃の私に似た家臣に『影武者』をさせていますしね」
「ふぅん。それなら仕事も影武者にやらせたらどうです? 久し振りに会ったのに、退屈でつまらない」
「あはは、美成殿でもそういう冗談を言うんですねぇ」
ほっぺたを膨らませて拗ねた顔も、美形がやると美形だな。
「じゃあ暫くの間、その『影武者』を私だと思って遊んでいて下さい。小介~」
「そういう話じゃないでしょ!?」
「まあまあ。明日は秋祭りをご案内しますから、楽しみにしていて下さいね!」
笑って美成殿を宥め、ひょっこり顔を出した小介に美成殿を押しつけた。
*************** ***************
まだ空も薄昏い暁七つ(午前4時)。
突然の来訪者に、私は眠気も一瞬で吹っ飛んだ心地で 目を見開いた。
「――安芸殿?」
「雪村!」
佐助に護衛された安芸さんが、目にたくさん涙を溜めて私に取り縋った。
「父上に、謀反の疑いがかけられて……っ! お願い、雪村、父上を助けて!」
+++
安芸さんが落ち着くのを待って話を聞くと。
緊急の評定が開かれたその場で、首藤が安芸さんの父君を糾弾したそうだ。
「相模の機密情報が持ち出された。密書を持った男を捕らえたところ、その男は「『葛山殿(安芸さんの父君)から真木の当主へと、密書を託された』と吐いた」と。
「そのような覚えは無い」と安芸さんの父君は否定したけれど。
「葛山殿は昔、武隈の間者をしていたと聞く。元・武隈家臣の真木と繋がりがあってもおかしくはない。先日の評定で『真木との同盟』に反対したのは、東条への裏切りが露見するのを恐れたのではないか」と、首藤は尤もらしい事を述べ立てた。
いくら否定しても反駁して聞き入れず、「そこまで仰るのならば「していない」証拠を出して頂きたい」と跳ね返し、安芸さんの父君は身柄を押さえられてしまった、と。
「そんな……「していない証明」など、悪魔の証明ではないですか!」
「父は陰虎様の傅役のような役目を任じられていて、幼い頃からお仕えしていたの。それが首藤殿には目障りだったのか、元から折り合いが悪くて……だからと言って、このような事になるなんて」
「無茶苦茶だ。私も兄も、東条の機密など探った事はありませんよ!? そのような嘘がまかり通るはずがない!」
「花姫も「首藤はこの機会に邪魔者を排除したいのでしょう」と仰って。そうだわ、こちらに『眞下』という家臣はいらっしゃる? 首藤殿は捕らえた武士をそう呼んでいたらしいの。そのような者がいないなら……!」
眞下……東条に調略されて出奔した門番だ! 私と六郎は顔を見合わせた。
戦になった時に、内部から呼応させる為に調略したんじゃない。この役をやらせる『真木の家臣』が必要だったのか!
眞下が本当に存在した事に落胆して、安芸さんがしょんぼりと俯いたまま言葉を続ける。
「……首藤殿は「現に真木には、東条が同盟を模索している件が漏れていた。それでなくとも葛山殿は、真木の肩を持つ言動が多い。真木の間者である証拠だ」と言い張って。……同調する家臣が何人も居て。このままでは娘の私にも危害が及ぶと、花姫が逃がしてくれたの」
「俺は安芸殿を連れ出すので精一杯で。安芸殿の母君には、急ぎ才蔵を向かわせましたが……」
間に合うかどうか。言葉にはせず佐助が口を噤む。
そんな……安芸殿の父君が真木を庇ってくれていたのは聞いていた。けれどこんな事になるなんて!
『同盟模索』の件は、花姫を経由して越後にも伝わっていたから、そんな言い掛かりをつけられるとは思ってもみなかった。
何とかしたくても、今は誤解を解こうと動けば、逆に口を封じられる。
花姫も同じように判断したから、安芸さんを逃がしたんだろう。
逃げたとなれば、追手がかかるのは時間の問題だ。
ここで匿う? それとも越後に送った方が安全?
上森は花姫の実家だけど、東条と同盟を結んでいる。
「取り調べるから戻せ」と言われても匿ってくれる?
「申し訳ありません、安芸殿。私があのようなお願いをしたせいで、父君まで」
「それは違うわ、雪村。私は真木の間者よ? それは覚悟の上。そして父も、自分の意思で動いたの。本当なら主に助けを求めるなどという失態、私の方こそ責められるべきだわ」
冷静さを取り戻しつつある安芸さんが、涙を拭いて私を見る。
経緯を見守っていた矢木沢が、声を潜めて口を開いた。
「雪村様。事は一刻を争います。どうなさいますか」
東条が葛山殿と真木の関係を疑っている以上、安芸さんが逃げ込む先も『真木』か『上森』と予想を立てる。ここで匿っている事が知れたら、首藤の言い分を補強する事になってしまう。
そして引き渡しを拒んだら。
それこそこれが、戦のトリガーになるかも知れない。
時間がない。決断しなきゃ。
でもどうすべき……!?




