289.小田原征伐10
「矢木沢殿にバレたんすね……。俺はもう 終わりだ……」
女の人を呼ばずに遊郭の部屋をひとつ借りて。
膝つき合わせた私たちの目の前で、小介ががくりと肩を落としている。
そんな……本当に小介が、東条の調略を受けていたの……?
でもどうして。
六郎は私以上にショックを受けた顔をしていて、今にも泣き出しそうだ。
「馬鹿野郎……小介、お前どうして……」
「そうだよ……どうして真木を裏切ったの……?」
「は?」
悲壮感満々な私たちに、小介がぽかんとした顔をする。
「あれ?」
ぽかんとしている小介を、私と六郎もぽかんと見返した。
+++
小介の話では。
遊びに来た遊郭で遊女から「最近、眞下殿という方がよくお店にいらしているの。随分と羽振りが良さそうだけど、お城勤めはそんなにお給金がいいの?」と聞かれたそうだ。
眞下は旧・沼田家臣で、真木に下ってからは門番を任せている。取次も兼ねていて、城に置いてある上方の反物を受け付けたのも彼だ。
うちの門番程度で金回りがいい訳が無いと怪しんでいたら、六郎からこっそりと『相模の件』を教えられた。
これはますます怪しいと、眞下の事を調べる為に通い詰めていたそうだ。
「それでなくても貯めようが無かった貯蓄が、この件ですっからかんっすよ」
「俸禄が安くて悪かったね」
「いいんですよ。気にしないで?」
拗ねて嫌味を言ったつもりなのに、小介がきらりと笑って鷹揚に返してくる。
ぐぬぬ、このやりとり、おかしくないですか?
でも良かった。小介は首藤の調略を受けていなかった……。
ほっとしている私の隣で、六郎が居心地悪そうにもじもじしている。
小介に『他言無用の相模の件を、こっそりバラしていた』ことを暴露されたからだろうけど、今はそんな瑣末な事に拘っている場合じゃない。
私はきりりと顔を上げた。
「それで何か分った?」
「はい。遊女のひとりが眞下から「東条への仕官が決まったから付いてこないか」と言われた、ってとこまでは聞き出したんすけどねぇ。……俺の体力と、何より金子がもたなくて……」
遊女の身請けはお金がかかる。
こう言っては身も蓋もないけれど、うちの門番程度の俸禄で、そんな事が出来るとは到底思えない。
「東条から支度金を貰った、という事でしょうか。しかしうちの門番が、どのような調略を受けたのか」
「戦の時に呼応して、内側から門を開ける。もしくは城に火を放つ事は考えられる。東条は同盟と言いながら、戦を仕掛けるつもりだってこと?」
大名同士の私闘は惣無事令に違反する。これは武隈を滅亡させるほどの大事だけど、本当に陰虎様はこれを了承したんだろうか。
「陰虎様は少し気が弱いところがあった」と雪村が記憶している。こんな大胆な決断をするとは思えない。
額を寄せて話し込んでいたら、六郎が少し険しい顔で小介に向き直った。
「そこまでは判った。それでお前が遊女に貢いだ金の出所は? お前の貯蓄なんてたかが知れている。俺たちの俸禄でそんな余裕は無いぞ」
きりりとした顔でさらりとうちの安月給をディスった六郎に、小介が情けない顔を俯かせて呟いた。
「……城に置いてあった反物を、質に……」
だって元手がなかったんだもん、矢木沢殿に怒られる……
呟く小介の頭に、六郎が思いっきりげんこつを落とした。
+++
「相談してくれれば、必要経費として準備したのに」
「だって確証は無かったし。証拠を押さえてから報告しようと思ったんすよ」
調略を受けていた訳じゃないけど、普通にドロボウはしていた。
質に入れた反物代はこちらで支払う事にして、とりあえず私たちは矢木沢にそれを報告した。
「明日、眞下が登城したら身柄を押さえましょう」
しかし件の遊女からこの事が漏れたらしい。
翌朝、眞下は城に姿を現さず、家はもぬけの空だった。
結局すっきりしないまま、この件はそれ以上追えなくなった。
*************** ***************
笛の音色が 微かに聞こえてくる。
数日後に控えた秋祭り、それに向けての練習なのだろう。
「えらい腐ってはるなァ。オシゴトしなくてええなんて、オレからしたら羨ましい限りやわ」
呼びだされて来てみれば、馬鹿にしやがって。
廃寺の切り株に腰かけた門馬は、ぎろりと商人を睨みつけた。まばらに生えた無精ひげのせいか、荒んだ雰囲気を醸し出している。
「なら代わってやるよ」
「いやいや。あんたみたいな尊大な坊ちゃんに、商売なんて無理や」
むすりと視線を落とした門馬の膝上に、ぽんと黄金が置かれた。ぎょっとして顔を上げると、嗤って肩をひとつ叩き、商人が立ち上がる。
「まあ、物は考えようや。あんたが書いてくれた文、あれを使えば雪村は失脚する。そのいざこざに巻き込まれずに済むやんか」
「……」
「もうすぐ 全てが終わる。楽しみやなァ」
言葉とは裏腹な声音の冷たさに、門馬は思わず目を見張った。
赤々と 燃え立つような夕焼けの中、石段の上から商人が城下を見下ろしている。その怖気たつような禍々しさに、門馬は目を見開いたまま動けなくなった。
――今まで気にした事も無かったが、こいつ、本当に商人なのか?
振り向いた男が 狐目を細く眇めて、にい と嗤った。
「もうすぐお祭りやね。それが済んだらオレ、ここを離れるんや。だから――これが最後のお仕事や」




