287.小田原征伐8
佐助が、安芸さんからの文を持ち帰った。文を持つ掌に汗が滲んでくる。
それは、いつかこの日が来るんじゃないかと恐れていた内容だったからだ。
『首藤殿が評定で『沼田城を支城とする件について』議題に出したらしいわ』
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支城に……? これ、前に影勝様から聞いた時は『同盟の模索』だった筈なのに、どういう事だろう。
文を読み進めると、どうやらそれは変わってなくて、『同盟を結ぶ事で、真木ごと沼田城を取り込もう』って事らしい。
そもそも真木の本城は上田城。なのに沼田城の事にしか触れてない時点で『同盟』なんて建前だ。
『父は「真木が東条と同盟を結ぶ理由が無い。真木と上森は神子姫を介して繋がりが深いが、その上森とですら同盟を結んでいないではないか。また当主には、徳山との縁談の噂もある」と懸念を示したそうなの。しかし首藤殿は「自分に任せて欲しい。上手く話を纏める」と陰虎様に強く言上して、評定が紛糾したそうよ』
まだ正式に決まった訳じゃない。でも。
とうとうきた……小田原征伐フラグだ!
『大丈夫よ、どうか安心して? 父は陰虎様が幼少の頃からお仕えしていて、信頼が厚いの。私が雪村に助けられた事で、父は真木にとても恩義を感じている。きっと父が何とかしてくれるわ』
安芸さんの父君も、首藤殿の主張をそのまま受け取っている訳じゃないみたいだ。
文からは、安芸さんが心配してくれている様子がひしひしと伝わってきて、逆に私は申し訳ない気持ちになった。
安芸さんには間諜をお願いしておいて、こちらは碌なお礼も出来ていない。
せめてもと、金髪先生に調薬して貰った鎮咳の薬を佐助に持たせたけれど、あまり効いていないみたい。
「これが効かナイなら、労咳かも知れまセン。それなら薬では無理でスよ」
労咳とは肺結核の事。そんな病気、この時代じゃ治療は無理だよ。
せめて金髪先生に看て貰いたいけれど、今は安芸さんと真木の繋がりを知られる訳にはいかない。
――とりあえず状況が変わった。きっと今後、何らかの動きがある。
『同盟話』は東条の策だって兄上に伝えて、今後の指示を仰がなきゃ。
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改めて兄上から『東条からの打診は未だない。そちらも、何があっても対処できるようにしておきなさい』と返事が来たので、私は矢木沢と六郎にこの件を伝えて、相談する事にした。
「相模の首藤殿は大層な切れ者だ。同盟と言いながら、その様な動きが無い。それが気になるんだ」
「評定で、反対を押し切って啖呵を切ったのであれば、相当な自信があるのでしょう。こちらが同盟を受けざるを得ない、何らかの名分を手に入れたとも取れますな」
「ならば『それ』は何なのでしょう? ここは真木が先の戦で、富豊から安堵された領地。東条がとやかく言える筋合いは無いと思うんですが」
「うん……」
現世の沼田城は『豊臣への臣従と引き換えに、北条が欲しがったから』と、そんな理由で引き渡したと記憶しているけれど、こっちの世界の富豊は今のところ、東条に臣従を求めていない。それなら沼田を取られる理由がない。
考え込んでいると、黙って私を見ていた矢木沢が、すっと声を潜めて囁いた。
「あるいは東条の調略を受けている者が居る可能性も、視野に入れてよろしいかと」
「えっ!?」
驚く私を、六郎が呆れた顔でちらりと見る。
「あんたはそんなに、自分が信頼されていると思っているんですか。ここには先の戦で下った旧・沼田家臣が大勢います。為人を見極めるには、日が浅すぎる」
「……」
家臣が裏切っている、そんな事は考えた事が無かった。
確かに私は、家臣をしっかりと統制できているかと問われれば、自信なんて無い。黙っているだけで、不満を持っている家臣が居るって事か。
「……言い過ぎました」
しょんぼりと俯いていたら、気まずそうに顔を逸らした六郎が 小さく呟く。
額を集めて考えても、これといった打開策は出てこない。
やがて矢木沢が、膝を打って立ち上がった。
「東条の動きが見えない今は、こちらも動きようがありません。信倖様との連絡を密にして、 各々、周囲の動きには特段の注意を払うとしましょう。この事はまだ他言無用に」
そう話を纏めて打ち切った。
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「――あんたのせいだぞ! もうこれっ切りにしてくれ!」
父親に殴られたという左頬を腫らし、門馬は狐目の男に食って掛かった。
お道化た表情の男がゴメンなぁ? と苦笑する。
「でも一応言うとくけど。あんたの態度が悪すぎたんちゃうの?」
女やと馬鹿にしとるさかい、こんな目に合うんや。自業自得やろ。
うっかり出掛かった罵倒を呑み込み、へらりと嗤いながら呉服商人を装った男は、その手にひと掴みの銭を握らせた。
もう、こいつに使い道は無い。
手切れ金を大盤振る舞いで渡したつもりだったが、予想に反して門馬は、その銭を思い切り足元にぶちまけた。
「なんやなんや。おカネ大好きやったんちゃうん?」
「ふざけんな! こっちはあんたのせいで職を無くしたんだ、この程度の銭で足りるかよ!!」
「あれ、そっち? ホンマ、仕事も出来んくせに金の亡者やなぁ」
小さく呟かれた罵倒を無視し、ぶるぶると拳を震わせた門馬は、血走った目で虚空を睨みつけた。
「あの野郎、信倖様の身内ってだけで偉そうにしやがって! ぜってえ赦さねえからな……! 覚えてろよ!!」
面倒や、ここで始末するか、と思ったが、気が変わった。
頓珍漢な逆恨みでも、利用できるうちはすべきだろう。要らぬ駒を捨てるのは、いつでも出来る。
懐に忍ばせていた短刀から手を離し、男が にい と嗤った。
「せやったら、もう少しだけオレの手伝い、してもらいましょ」
大雑把な用語説明
評定:会議みたいなもの
支城:お殿様が住む本城を支える城




