286.小田原征伐7
「――これでいいのか?」
「ありがとさん。上出来や」
雪村直筆の文に目を通していた商人が、門馬が差し出した書類を受け取り、へらりと嗤う。
筆の墨を拭い、門馬は訝しげに商人を見上げた。
『ご依頼の件、承知いたしました。ご訪問を心よりお待ちしております。兄の許しは得ておりますので、よろしくお願い致します』
そんな文が租税を懐に入れた証拠になるようには思えないが、今、書かされた偽の販売許可書も、どのように使うつもりか全く分からない。
「なあ。これが本当に、あんたの言うような証拠になるのか?」
「なるやろ? 今、あんたに書いて貰うた販売許可書と、雪村に書かせた文。これを持って、オレは上田のお殿様のとこに行く」
「なんで? 沼田で割高な反物を売りつけるって話じゃなかったか?」
「ええから聞いて? 「私は沼田で反物を卸している商人です。先日、沼田の城代に「版図を広げたいので、上田のお殿様に口を利いて貰えませんか。そのように取り計らって頂けるのなら上納金を納めに参ります」とお願いしたところ、「話は通しておく」とこのような文を頂きました。上納金を収めましたら販売許可書も頂きましたので、上田でも商売させて下さい」言うてお願いするんや。お殿様は何のことか分からんやろうけど、「兄の許しは得ております」て書かれた文を持ち込まれたんやから、商売させてくれるやろ」
「何だよ。結局、金儲けかよ。あんたしか得をしねーな。それにさんざん騒いだくせに、その文しか使わねーのか」
「あんたにぎょうさん金がかかったからなぁ。そもそもあんた、碌に直筆の文を持ち出せんかったやろ。あんな文面じゃあ偽文の参考になんてならへんわ」
口を尖らせた門馬が、不機嫌そうに商人を見上げる。
「それで? これがどうやったら、金を着服したって証拠になるんだよ」
「兄上サンはこれで「雪村に上納金が収められた」と思うやろ? けど当然、公事にそれは記載されてへん。どういう事や、って揉める筈や」
「そうかも知れねーけど……」
思っていたよりしょぼい仕返しだな。まあ、銭が稼げただけで良しとすべきか。
商人から目を逸らし、門馬は懐に銭を突っ込んで立ち上がった。
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『そういえば先日の文、珍しく右筆に書かせたみたいだね。けれど花押だけは自分で書きなさい』
傳馬の件と入れ違いで届いた兄上からの文には、意外な事が書かれてあって、私は思わず二度見した。
兄上への返事を代筆させた事なんて一度もない。どういうこと……?
思い返すと前に兄上に送った文……りんごのお礼を伝える文は、門馬くんに渡した記憶がある。確認しようと部屋に呼ぶと、門馬くんは事も無げに言い放った。
「ああ。雨で文が汚れたから、書き直して送ったけど?」
いやいやいや! ちょっと待って!?
「文が汚れたのは仕方がない。だがその時に、上役に報告して指示は仰いだ?」
「うっせえなぁ。雨で濡れたのは不可抗力だ。文句があるなら神様に言えよ。それに俺は右筆だ。文を書き直して何が悪いんだよ」
「代筆はともかく、花押は私以外が書いてはいけないよ」
きりりと諭したけれど、門馬くんは全然、聞く耳を持たない。
へっ と嫌な笑い方をして踏ん反り返った。
「でもソレ、私用の文ですよね? りんごなんて、仕事に関係ありませんよね?? 何で怒られなくちゃならないんだよ、馬ッ鹿じゃねーの?」
ぐぬぬ、そうきたか。
言葉に詰まった次の瞬間、すぱんと勢いよく襖が開いた。
襖の向こうには、教育役の右筆が立っている。同僚から忠告されてはいたけれど、まさか『雪村』にこんな態度を取っているとは思わなかったんだろう。
私に向けられていた不貞不貞しい表情が、瞬時に強張る。
門馬くんの頭を押さえ付けた教育役が、真っ青な顔で叩頭した。
「監督不行き届きです、申し訳ありません!」
「てめえ! 嵌めたな!?」
「嵌めるも何も、今は勤務時間だ。右筆が出入りするのは当たり前だろう」
この世界で『花押』は重要だ。
ゲームタイトルに採用され、恋人同士になる最重要恋愛イベントで使用するほどに。……というのは別にして。
『花押の偽装』は、現代で例えるなら公文書偽造レベルの大事だ(たぶん)。
さすがにこれを不問にしては示しがつかない。教育役にもバレちゃったし。
門馬くんは上手く立ち回っていたつもりだろうけど、こちらはあえて様子見・不問にしていたんですよ。
何故なら私は、身体は子供で中身は大人。
その私が新人にマジギレなんて、大人げないから……!!
表情を引き締め、私は改めて門馬くんを見返した。
「向いているかと右筆の仕事をやらせてみたが、どうやら見込み違いだったようだ。教育役と相談のうえ、追って沙汰を出す。しばらく登城しなくて良い」
「はあ?」
私が強い態度に出ると思っていなかったんだろう。門馬くんは鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔をしている。
私だって言うべき時には言うんですよ? 今後『雪村』にまでそんな態度を取られては困る。
きちんとけじめはつけなければならない。
大雑把な用語説明
公事:年貢以外に納める税




