285.小田原征伐6
雪村直筆の文を受け取った後、商人は門馬の掌に数枚の銭を乗せた。
「何だよ、これだけかよ」
「文一通のお駄賃や、それで十分やろ。もっと欲しいならオシゴトして貰わんと」
「何言ってんだ。あんたの言う通り、真木に届いた文を全部持ち出してきただろ。早々に返事を返さなきゃならねえ文も混じってんだから、見るなら早くしてくれ」
のんびりと中身を吟味している商人に、門馬は口を尖らせて言葉を重ねる。
「本当にまだるっこしいな。だから文の偽装も俺にやらせろって言ってんだろ?」
「ホンマに、何回言ってもわからん子やねぇ。あんたじゃ無理や、って」
「どうせならさぁ、謀反を企んでいるって文でも偽造して、あいつ、ぶっ潰してやろうぜ? 謀反なら調略の文をたくさん書くんだろ? 右筆に書かせてもおかしくないんじゃねーの?」
「せやったら、書いたあんたも謀反のお仲間や。無事には済まんと思うけどな」
「……」
ホンマに阿呆やな。阿呆すぎて反吐が出るわ。
心底からの軽蔑を巧みに隠し、呉服商人はへらりと嗤った。
「そういうコトを防ぐために、花押は必ず本人が書き入れるんや。兄上サンなら、雪村の花押がニセモノやったら見破るやろ」
「そうか? その信倖様に宛てた返事、俺が花押も書いて返事を送ったけどバレてねーよ」
「ちょ、兄上サン宛ての文を盗んだ後は「雨で汚れた」ことにして書き直させろ。少なくとも花押だけは、本人に入れさせろって言うたやんか。……ていうか、バレへんかったの?」
「だから言ったろ? 俺は雪村の花押を、本物そっくりに書けるってさ」
(花押の偽装が出来るくらいの技術があるなら、手蹟なんぞ簡単に真似とるわ)
「何か言ったか?」
「いいや?」
踏ん反り返る門馬を見遣り、狐目を細めた男は溜め息を押し殺した。
こちらの言う事も聞けん癖に、金だけは一丁前に欲しがる奴やな。
だが、金を払って煽てておけば、余計な詮索をしないところだけは利点や。
「……そやねぇ。じゃあ優秀な右筆サマにひとつ、オシゴト頼みましょ。あんたにしか出来ないコトや」
ざらりと掬った銭を門馬に握らせ、男は一通の文を差し出して耳打ちした。
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「わかった。この文に、そう返事を書けばいいんだな?」
「そお。くれぐれも怪しまれんようにな? 上手いこと花押を入れさせたら、オレにちょうだい?」
はいはい、と面倒そうに懐に文を仕舞って、門馬が書庫を出て行く。
その背を見送り、商人に扮した男は大きく溜め息をついた。
早々に返事を出さなければいけない、と言っていた筈の文を、置いたままにして行ってしまった。これはどうするつもりなのだろう。
邪魔な文を纏めて棚に隠し、沼田城の書庫からそっと滑り出た男は、何食わぬ顔をして、通りがかった家臣の後ろに付いて行った。
その様子は一見、家臣に先導された客に見えただろう。
それを繰り返し、易々と城から出た商人――首藤は、城を振り仰いで苦笑した。
「えらい不用心な城やなぁ。――こら、落されても文句は言えへんわ」
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『来月の半ば、東国方面に用事があるのでついでに立ち寄ります。就いては上方まで傳馬を借りたい。信倖の許可も取って貰えますか』
そんな文が美成殿から届いたのは、まだまだ残暑厳しいある日だった。
『傳馬』とは、各領国で飼育されている軍用や移動・連絡用の馬のこと。
帰りだけ馬を借りたいって事は、行きは船で来るんだろうか。
美成殿が遊びに来るのは久し振りだな。その頃は秋祭りが行われる頃合いだ。
お祭りには露店も出るから、是非とも案内しよう。
それはともかく、美成殿が来る日まで時間がない。早く返事を出さなくちゃ。
「急ぎで送らなければならないものが出来た。今、手は空いている?」
「はい」
「この文に『傳馬の件、承知しました。お待ちしています』と返信してくれ」
美成殿からの文はプライベートなものじゃないから、右筆に代筆させている。
私もそれに倣って、文を持ってきた門馬くんを呼び止めた。
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『ご依頼の件、承知いたしました。ご訪問を心よりお待ちしております。兄の許しは得ておりますので、よろしくお願い致します』
ほどなく手渡された返事は、本人の態度からは想像もつかない、腰の低い丁寧なものだった。
まだ兄上に確認を取ってない。けれど美成殿の依頼を断る訳がないし、「来訪をお待ちしています。傳馬の件はまかせとけ」と伝わればいいんだから、これで問題ない。問題ないけれど……
花押を書き入れながら、私はちょっと首を傾げた。
「門馬、こちらが馬を貸すんだから、最後は『よろしくお願い致します』じゃない方が良くない?」
「はあ!? 文句があるなら自分で書けよ!!」
「文句じゃないよ。ただ、右筆なんだから文章は正しく」
「わかったわかった! じゃあてめえで書け!!」
文を毟るように奪い取った門馬くんが、足音も荒々しく部屋を出て行く。
乱暴に閉められた襖を、私はぽかんと眺めた。
先日、教育役が言っていた「間違いが多い」の意味は解ったけれど、こちらとしてはコンプライアンスを重視して、指摘にも細心の注意を払っているのですよ。
その気遣いを無碍にしおって……おのれ……ッ
……などと、今は社畜ごっこをしている場合ではない。
美成殿は自分にも他人にも厳しくて、いい加減な仕事ぶりを嫌う。
返事を遅らせるなんて以ての外だ。
文を大急ぎで書き直すべく、私は別の右筆を呼び寄せた。




