284.小田原征伐5
『今年の信濃はりんごが豊作だよ。父上が兵糧用に植えた庭のりんごにも、鈴なりに実っている。父上の好物だった少し酸っぱいあのりんご、雪村も好物だったよね? 子供の頃、父上と一緒によく食べていたように記憶しているけれど、違ったかな? 今度、そちちに行く時に持って行くよ』
『東条との同盟』の件を問い合わせた文の最後にそんな文言があったので、私は返事を書く為に、いそいそと文箱を引き寄せた。
文は右筆が書くとは言っても、プライベートなものは自分で書く。桜姫や兄上宛ての文は自筆だ。
兄上からの文には『東条から同盟の打診は無い』と書かれてあるけれど、りんごに託けてこっちに来るって事は、何か話があるのかも知れない。
時代劇を見たことがあれば想像がつくと思うけれど、この時代の文は、書留どころか封筒にすら入ってない。それはこちらの世界でも同じようなもので、セキュリティが高いとは決して言えないから、文に書けない内容は口頭で伝える事も多い。
『文を嬉しく読ませていただきました。お見通しだったのですね、昔から私も大好きでした。こちらにいらっしゃるのを楽しみにしていますね。道中、お気を付けて』
当たり障りのない返事を書きながら、私はふと筆を止めた。
そういえば兄上と桜姫には文を送っているけれど、兼継殿には送った事が無いな。
そこまで考えて、一度書いて出しそびれ、そのまま行方知れずになっている文の事を思い出した。
「私も好きです」なんて返事、今となっては送らなくて良かったと思うけれど、どこに仕舞ったんだろう。全然記憶に無い。
兼継殿にも、お手紙を出そうかな……
でも仕事で忙しいだろうし、謝罪はきちんと会って伝えた方が……。
「おい! ぼんやりするなよ。俺はあんたと違って忙しいんだからよ!!」
大声にぎょっとして顔を上げると、門馬くんが顔を顰めて覗き込んでいる。返事を書き終えるのを待っていたらしい。
「ごめん、待っていると思わなくて」
「何だよ、私用の文か」
本当はもっといろいろ書きたいけれど、仕事中に待たせた負い目もある。
慌てて花押を入れて渡すと、毟り取るように文を奪って、部屋を出て行った。
……うん。仕事熱心アピールの仕方を間違えていませんかね?
仕事熱心というより、上司に立てついているようにしか見えませんよ。
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「門馬に右筆の仕事をさせてしばらく経つけれど、仕事振りはどう?」
門馬くんが非番の日、教育役の右筆がちょうど書類を運んで来たので声を掛けると、右筆は苦笑いしながら私の前に座った。
「そうですね。字は綺麗ですが間違いが多いです。ただあいつ、羽振りがいいみたいで、菓子をたくさん持っているんですよ。それをしょっちゅうくれるんで、つい注意しそびれちゃって。えへへ」
賄賂か。そういう話を聞きたいのではありませんよ。というか、間違いが多いならきちんと指導して下さいよ。
特に上司に対する態度とか態度とか態度とか。
思わず真顔になって右筆を見返すと、そばで聞いていた馬廻のひとりが居住まいを正した。
「……門馬といえば。先日、所用で城下に出向きましたら、村はずれの茶屋で領民に「俺は武士だぞ!」と居丈高に振舞っているところを見ました。あれでは真木の評判を落としかねませんよ。せっかく雪村様が城下を視察して、領民に心を砕いているというのに……」
「え? あいつ、そんなことしてんの? 愛想のいい奴だと思っていたけど」
「愛想がいい!?」
「そもそも。そんなに頻繁に菓子を貰っていたら、仕事の代行を頼まれた時に断りづらくなったり、叱りづらくなったりしないか? 実際、お前には効いているみたいだしさ」
「……」
「城下での様子を見るに、あいつには裏の顔がありますよ。お前は教育役なんだから、そこらへんもきちんと見極めろよ。きっと御し易い奴だと侮られているぞ」
ぽかんとしている右筆に、馬廻がダメ出ししている。
思い返せば門馬くん、兄上には愛想が良かった。
私への態度が悪いのは、兄上にお仕え出来なかった八つ当たりだと思っていたけど、侮られていただけか……! 何となくそんな気はしていたよ!
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いつもの城下視察の途中、茶屋でひと休みしていた小介が がくんと船を漕いだ。
「あれ? 何だか小介、眠そうだね」
「うう~ん。えへへ。ちょっと最近、夜のお出掛けが捗ってまして」
「そっか。まあ、ほどほどにね」
普段からゆるい雰囲気の小介が、いつも以上にゆるくなっている。言葉をぼかしているけど、おそらくデートだろう。
こういうのって突っ込んで聞かれた方が嬉しいのか、プライベートに立ち入らない方がいいのか、よく解らないな。
一応はこっちが上司だし、セクハラになるかも?
結局、プライベートには立ち入らない事にして、私は手元のお団子を見下ろした。
そうだ、兄上がりんごを持ってきてくれた時、お返しは何にしよう?
この前、桜井くんが「群馬は、こんにゃくの生産が日本一みたいだぞ」って教えてくれたから、こんにゃくを使った間食を考えてみよう。
蒟蒻芋は仏教と一緒に伝来しているから、この時代でも普通に生産している。
みそ田楽は美味しいし、スイーツ以外の間食があってもいいよね?
そんな事を考えていたら、いつの間にか小介が本格的に居眠りを始めてしまった。
起こすのも忍びなくて困っていると、茶屋のお姉さんが笑って耳打ちしてくる。
「お殿様ね、最近お気に入りの娘が出来たみたいよ? お忍びでいらっしゃっているから皆、知らぬ顔をしているけれど」
「そうなのですか?」
おお……城下でバレバレじゃないですか……! これ、気遣い無用の案件だった?
「知らなかったです。どちらの方ですか?」
「うふふ、あなたにはまだ早いわ」
興味津々で尋ねると、お姉さんは意味深に笑って話を打ち切ってしまった。
本来の戦国時代は元服も婚期も早かったけれど、ここは18禁乙女ゲームの世界。
成人も婚期も現世と同じ18歳以上なのです。
外見年齢15歳少年の私は、この世界ではまだまだ子供扱いです。
大雑把な用語説明
馬廻:主君の護衛担当の騎馬武者のこと




