283.小田原征伐4
「――へえ。やるやん、あんた。城代サマからこんな文を貰うたん?」
「俺宛てじゃねぇよ。宛名が無かったんだ、書き損じだろ」
私も好きです とだけ書かれた文を手に、堺の呉服商人を名乗る男は大袈裟に仰け反った。そして銭を数える門馬を横目に「まあ、これじゃ役に立たへんけど」と呟きながら、文を懐に仕舞う。
「前にも言ったと思うけど。ここの城代が金を誤魔化して懐に入れていた、って偽文を作りたいんやから、もっとこう……それっぽい内容で直筆の手本が欲しいわ」
「面倒くせえなぁ。そんな文、簡単に出てくる訳ねーだろ」
「あんた、優秀な右筆やって、自分で言ってたやないか。雪村の手蹟くらい、簡単に真似できるのかと思うとったわ。それやったらこんな面倒な事をせんくても良かったのに。期待外れもええとこや」
「うるせえ。そもそも何でそんなに直筆に拘るんだ? 城代なんて、右筆が書いた文に花押を入れるだけだ。俺はあいつの手蹟は真似できねーけど、花押の模写なら出来る。それでいいじゃねーか」
「あんた、阿呆なの? 悪いコトしてます~って内容、右筆に書かせる訳があらへんやろ。模写出来ひんなら、せめて『雪村直筆の文』くらいはぎょうさん持ち出したらどうや。そういう契約やったやろ?」
「簡単に言うなよ! そもそもあいつ、越後の姫様と信倖様くらいにしか、直筆の文は出さねーんだよ」
「あれ? 越後の執政と文の遣り取り、してるんちゃうん? これ、そうやろ?」
「越後の執政? 誰だそれ、知らねーよ。その文は書き損じだろうからいいけど、現物なんてぜったい無理だ。信倖様への文なんて、届かなかったらすぐバレる」
直筆の文を持ち出すのは無理やと?
こいつ、出来もせん事でオレから銭を強請っとったのか。
侮蔑の感情を押し隠し、商人を装った男は事も無げに言い放った。
「ははは! そんな偽装なんて簡単や。あんた右筆やろ? 盗った文を書き直して、そっちを送ったらええやないの。越後に送った文なんか、すり替わっとってもわからへんで」
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現世では殆ど見ることがない大きな木箱を、私は興味津々で見つめた。
「これに上方の反物が入っているの?」
「はい。数年に一度、祭りに合わせて堺の呉服商人が行商に来るんです。上方の垢抜けた品をゆっくり選べると、侍女たちには好評でした」
門番と取次を兼ねている家臣が、持ち込まれた長櫃の蓋を開ける。
長櫃とは衣類や調度品などを納める、長方形の蓋のある箱のことで、 運ぶ時には前後に棒を通して二人で担ぐ。
長櫃には目にも鮮やかな反物が、ぎっしりと詰められていた。
「沼田では、こう言う事をやっていたんだね」
「そうですね。さすが上方。お洒落な反物ばかりです」
厨勤務の侍女たちが、綺麗な反物を手に取って、楽しそうに騒いでいる。
沼田は落城した際に人が入れ替わったので、ここに前・沼田時代の侍女は居ない。だからこのシステムがいまいち解らないな。
「眞下、これはどのように支払いをしていたの?」
「祭りが終わる頃に、商人が長櫃を回収しに来ます。欲しい物があればその時に購入していました」
なるほど。この門番は旧・沼田家臣だから、この辺りの事情に詳しいらしい。
見たところ、女物の反物が多い。それならここよりも、邸の方に運んだ方が良いんじゃないかな? 城よりも邸の方が、勤務している侍女が多い。
「じゃあ、こっちの侍女達が見終わったら、邸の方に運んでくれ」
「担金具に刺す棹が回収されていまして……」
「うわあ、綺麗な反物っすねえ」
ふらりと顔を出した小介が、侍女たちの頭越しに感嘆した。
「上方で流行りの柄らしいわよ」
「あら奈山殿、誰か贈りたい女子でも居るの?」
「いやあ。可愛い女の子が、カワイイ小袖を着ているのは可愛いっすよねえ。うう、可愛いみんなに贈りたいキモチはやまやまなんすけど、今は元手が無くて……」
ちろりとこちらを見る小介から目を逸らし、つらりと言い放つ。
「これ、結構高額だよ? 俸禄を前借りしても無理」
「じゃあ俸禄を上げて!」
「そっちも無理。さあ、仕事仕事!」
大袈裟に頭を抱える小介の背を押して、私は城下の視察へと繰り出した。




