279.りんご問答2
「――それで、越前の三国港から戻ったんです。栄えていると聞いていたので楽しみにしていたのですが、体調を崩したせいで見れず仕舞いでした」
失敗は忘れることにして、こっちの世界で初めての船旅話を、私は兼継殿にお姫様だっこされたまま元気に語っていた。
重くないかなとか、いろいろ気にはなるけれど、兼継殿が優しく笑っているので、何となく降り逸れたままだ。
私の話に頷いて、兼継殿が穏やかに口を開く。
「港は海運の物流拠点だからな。越後にも直江津という港があるぞ。そうか、連れて行った事は無かったな」
「はい」
「では身体が良くなったら見に行くか?」
「良いのですか? 是非!」
そう言えば何度も越後には来ているけれど、港には行った事が無い。信濃も上野も海がないから、港が見られるのは嬉しい。それに。
ちらりと兼継殿を見上げる。
……兼継殿とおでかけなんて、こっそり蚕を見に行った時以来じゃない?
すごく久し振りな気がする。
乙女ゲームは恋愛に失敗してフラグが折れても、『攻略対象は優しいまま』って事が多い。だから攻略に失敗したら、ハートが割れるなどのエフェクトが入って、わかりやすくお知らせしてくれる。
『カオス戦国』では、画面におどろおどろしい字で『恋愛失敗』と表示されたけど、この世界では当然、そんな字幕は表示されない。
フラグが折れても、おでかけイベントが発生しそう……?
「接待」はデートじゃないからかな? それでも一緒におでかけできるのは嬉しい。
「楽しみにしています」
兼継殿と目が合ったので、私は へらりと照れ笑いした。
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「――戻ってきませんね」
信倖の杯に酒を注ぎながら、美成が苦笑した。
酒を酌み交わしながらも気もそぞろ、といった様子の兼継が席を外して、小半時(30分)ほどになる。
信倖も溜め息をついて苦笑し返した。
「何を他人事みたいに言ってんの。雪村の状態を越後に知らせたの、君でしょ?」
「まあ、そうなのですがね」
返杯を受けながら、美成は信倖を見遣った。
三河に向かった清雅が、肥後に戻る前に此処に寄ると言っていた。先に耳に入れておいた方が良いだろう。
「兼継の前では言いそびれましたが。おそらく今後、加賀から正式に、同盟なり縁談なりの申し入れがあるでしょう。命を救われて、惚れない男などいません」
「肥後と同盟なんて話にならない。遠交近攻にしたって遠すぎるよ。援軍の要請をしたとして、いつ来てくれるのさ」
遠交近攻とは、兵法三十六計の第二十三計にあたる戦術で『遠い国と親しくし、近くの国を攻略する』という意味になる。
ようは挟み討ちの戦術だが、信濃と肥後では遠すぎる。
視線を落とし、美成は暫し考え込んだ。
「そうでしょうね……」
「あのさ」
美成が顔を上げたのと同時に信倖が口を開き、美成は目線で相手の言葉を促す。
ひとつ頷いて、信倖は改めて言葉を続けた。
「右掌に雪村の花押がある。あの子は確かに『雪村』だ。なのに……僕にはあの子が、別人に思える時があるんだ。上手く説明できないけれど」
「君もですか。俺も同じように思っていました」
美成も、我が意を得たりといった表情で頷く。
「家臣が主君の為に命を投げ出すなら解る。俺の知る雪村なら、信倖、君の為に身を挺す事はあっても、俺や……たとえ兼継であっても、庇って身を危険に晒すような事はしなかった筈だ。清雅を庇うなど尚更あり得ない。それに雪村は清雅に『治癒』の能力が備わっていると確信している素振りでした。俺も、清雅自身も信じていなかった事を」
「それに似たような事は僕も感じた事がある。雪村と加賀殿は面識が無い。なのに「ほむらの宝玉を奪ったのは加賀殿だ」と「片鎌槍を手にしていたのが証拠だ」と言った。……僕は加賀殿の愛用の槍が、片鎌槍だなんて知らなかった。雪村は何故、知っていたんだろう」
そこはかとなく漂う違和感。そして何よりも。
「……雪村は『弟』だよ? 何でこんなに男から、縁談の申し込みがくるのさ……」
「さっさと越後に嫁がせた方が、今後の犠牲者が出なくていいんじゃないですか?」
「他人事だと思ってるでしょ」
「他人事ですよ」
そして二人は同時に考える。
『もしかしたら兼継は、随分と前からこの事に気付いていたのではないか』と。
『男が女になる』という、荒唐無稽な病に罹っただけと思っていたが、そういう訳では無かったのかも知れない。
ぐいと残りの酒を呷り、美成が艶やかに笑った。
「とりあえず、清雅が正式に振られたら教えて下さい。俺は奴の泣きっ面を拝むのが今から楽しみで楽しみで!」
楽しげに嗤う美成が、冗談なのか本気なのか判らぬまま、信倖は曖昧に頷いた。




