277.肥後遠征・その後 ~side K~
『雪村が肥後から戻った。死にかけて、今は上田で療養している』
何が起きてそうなったのかさっぱり解らない文が美成から届いたのは、雪と美成が肥後に発って、ひと月以上が過ぎた頃だった。
それと時を同じくして、気を遣ったのであろう主君とその義妹姫から、真木家への
見舞いを命じられた兼継は、信倖の元を訪れた。
「どうやら貧血らしいんだ。医者も「栄養があるものをしっかり摂っていれば、直に治る」と言っていたしね。大丈夫だよ」
「毒を盛られた訳ではないのか?」
「え? 毒?」
きょとんとしている信倖を見遣り、兼継も僅かに首を傾げた。
「清雅には『船上で毒殺される』未来がある。無事に下船したのなら、雪が何か手を打ったんだろう」
その様に桜井からは聞かされていたからだ。
あの娘ならば自ら毒を呷りかねないと思っていたが、そういう訳ではなさそうだ。
……加賀を救う為に、身を挺したのでなくて良かった。もしもそのような事をしていたら、加賀を殺してやりたい程に腹立たしい。
そしてそのように思ってしまう自分の狭量さも嫌になる。
内心の葛藤を押し隠し、兼継は微苦笑で話題を逸らした。
「いや。それなら良いのだ」
「今は眠っていると思うけど。顔を見ていく?」
不穏な単語を口にしたにも関わらず、信倖に気にした様子は無い。
にこにこと笑いながら立ち上がった。
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信倖が言った通り、雪はぐっすりと眠っていた。人の気配に目覚める気配も無い。
それだけ弱っているのだろう。
何があった。
透けるように白い顔を覗き込み、小さく吐息をつくと、障子の外から来客を伝える家臣の声が聞こえてきた。
「美成だと思う。見舞いに寄るって言って居たから。ごめんね、ちょっと外すよ」
縁側を歩く信倖の足音が、次第に遠ざかっていく。その気配が消えてから、兼継はそっと床に流れる雪の髪を掬い上げた。
触れられても、閉じた瞼は開く気配が無い。
諦めようと思っていた。いくらこちらが想おうと、同じように雪が想ってくれる道理など無い。
好きな男に想われたのなら尚更だ。
ならばせめて好かれぬまでも、嫌われるような事はしたくない。雪の幸いを願って潔く身を引こうと。
だが、戻って来た。他の男との未来を選ばなかった。
それならばもう、こちらが遠慮する筋合いも無いだろう。
掬った髪に口づける。事ここに至っては、もとの世界に帰すつもりなど無い。
何としても私を選ばせる。この世界に残ると 翻意させてみせる。
「――本気で獲りに行くからな。覚悟しておけ」
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一方、その頃の沼田城、城門脇。
賭博で金を使い果たし、不貞腐れて歩く門馬の背に、お道化た声がかかった。
「もし、おニイさん。いやあ久し振りやなあ! 元気やった?」
「あ? 誰だよ、てめえ」
どこかで会ったか、こんな男?
さっさと踵を返した門馬を、へらりと笑った行商人風の男が引き止める。
「何や、つれないなァ、オレやオレ! 堺の呉服商人や。前のお殿様の時に、お城に反物を卸さして貰うとったんやけど。覚えてへん? ほれ、今、あんたが着てる小袖もオレが持ち込んだ品やろ?」
「知らねーよ。触んじゃねえ」
こんな胡散臭い喋り方をする知り合いなんぞ居ない。何より自分は、登城し始めたばかりだ。人違いだろう。
掴まれた腕を振り払おうとした途端、掌に小銭が押しつけられた。
「今は新しいお殿様に替わったやろ? これからもご贔屓に~って挨拶したいんやけど、ちょいと取り持ってくれへん?」
「うちの城主なら上田に居るよ。そーいう案件なら、取次に言いなよ」
「いけず言わんと案内して? あーんなに大負けしてたんや、おこづかい、もうあらへんとちがう?」
「……」
こいつ賭場に居たのか。掌の銭の重みに、門馬は大袈裟な吐息をついた。
はじめは勝ちが続いていた賭け事も、ハマった途端に負けが込み始めた。金はいくらあっても足りない。
銭を懐に仕舞いながら、門馬は面倒そうに向き直る。
「んじゃ、取次んとこに連れってやるよ」
「あれ? お殿様のとこやないの?」
「この程度の手間賃で? 図々しい奴だな」
呆気にとられて黙り込んだ商人が、楽しげに笑い出した。
「いやあ! お見逸れしたわ。わかった、ほなお駄賃を弾みましょ。そうや、オレのお手伝いしてくれたら、もっとお駄賃出してもええで?」
その手には、重そうな財布がある。門馬は頬の緩みを引き締めて顔を顰めた。
取次の真似事だけで金が稼げるのだ。
この商人からなら、いくらでも搾り取れるだろう。いいカモが見つかった。
「しゃあねーな。何をしたらいいんだよ?」
「そうやな。出来たら城内で商売をしたいんや。上手ういったら成功報酬を払ってもええよ。どお?」
ぽん、ぽん、とお手玉のように放っていた財布が手から滑り落ち、財布から零れた銭が地面に広がった。
すかさず屈んだ門馬が、銭を拾い集める。
「おっと手が滑ったわ。はは、おおき……に……」
行商人の狐目が、微かに見開かれた。何食わぬ顔をした少年が、そのまま銭を懐に仕舞い込んだからだ。
拾ってくれたと勘違いした商人の手が、行き場を無くして彷徨っている。
それを見た門馬が にやにやと嗤い返した。
「俺は、落ちていた銭を拾っただけでぇーっす」
ぽかんとした後、大笑いした呉服商人は、少年に顔を寄せてにやりと嗤った。
「――まあええわ。せやったらこれで、交渉成立やね」




