274.肥後遠征8
船は順調に海路を進み、北陸が近付いてきた。越前・三国港まではもうすぐだ。
「眠れないのか?」
到着予定の前夜。
甲板でぼんやりと月を眺めていたら、清雅がやってきた。
旅の大半を船酔いと戦っていたけれど、下船直前になって体調が戻ったみたいだ。
「はい。月が綺麗ですね」
当たり障りの無い事をいいながら、さりげなく距離を取る。
それなりに仲良くなったとは思うけど、こんな夜にふたりきりになると、やっぱりちょっと緊張するよ。
「離れた所に家臣が居る。そう警戒するな」
警戒しているのがありありだったせいで、清雅がちょっと苦笑いした。
あ、バレましたか。自意識過剰だと思われないといいな。でもそういう事なら、と離れるのを止めて、私は船の縁に背を預けて清雅を見上げた。
「そういえば兄上には、小夏姫との縁談が持ち込まれました。清雅殿はどちらの姫君との縁談なのですか?」
「三河国刈谷城主・水乃殿の娘御と聞いた。正式にそのような話が来たのであれば、使者を遣わして断るという訳にもいかないからな」
面倒だな、って気持ちが全然隠れてない表情で頭を掻く。
そしてふと、遠くに見える陸地を見遣って微笑んだ。
「せっかく越前まで来たんだ。舞田殿にもご挨拶して行くか」
舞田殿の領地は、加賀・能登・越中に跨がる。越前・三国の港から三河まで陸路コースを選んだのは、最初から舞田殿のご機嫌伺いもするつもりだったんだろう。
怨霊の瘴気が薄れてからはお元気そうだったけれど、病が治った訳じゃない。
それを思い出したのか、清雅の表情が少し曇った。
「舞田殿が最近、また体調を崩されたと噂が出ている。上方でお会いした時は調子が良さそうで、安心していたのだが……」
「あの、清雅殿。舞田殿の期待を裏切るのが怖いなら、それと知らせず治癒の能力を試してみるのはどうでしょう? 私はやはり清雅殿には、その能力が備わっていると思います。何事も試してみなければ分からないと、か……直枝殿も仰っていましたし」
「貴女も大概しつこいな。俺にそんな能力は無い。だいたいどうやって試す? 病が癒えたと、何をもって判断するんだ?」
呆れたような、怒ったような声音に、ちょっと怯む。けれどもしも舞田殿の病気が治せたら、関ヶ原の結末を変えられるかも知れない。
私はどうしても、美成殿と上森家の不幸な結末を覆したい。
何とかして清雅を説き伏せる事は出来ないだろうか。
「しかし」
食い下がった私の声を遮って、清雅が言葉を被せてくる。
「逆に俺も貴女に聞きたい。何故、俺に直枝殿の話をする? あれだけ言ったんだ。俺の気持ちに気付いていないとは言わせないぞ」
「え?」
『男だから対象外だぞ』で話がついたんじゃありませんでしたっけ? そもそも私は、清雅に好かれるようなイベントなんて起こしていない。
……ん? ちょっと待て。
ま、まさか清雅、裸を見られたあのイベント……ラッキースケベでオトされたってやつなの!?
そんな乙女ゲー、嫌すぎるよ!!
不機嫌そうな清雅から思わず視線を逸らすと、目の端で何かが光った気がした。
ふとそちらに目を向けると、男がひとり、足音を立てずにこちらに向かって走ってくる。
夜の闇に溶け込む暗褐色の羽織、光ったのはその手元。
月の光を反射した短刀の刃だった。
――うそ、こんな時に刺客!?
「危ない……っ!」
思いっきり清雅に体当たりして突き飛ばす。
刹那、私の脇腹に、熱い棒を押し付けられたような痛みが走った。




