273.肥後遠征7
それから三日後。
やっと船の手配がついた私たちは帰路についた。
幸い雪村は、船酔いをするタイプじゃなかったけれど、美成殿と清雅は青白い顔をして、割り当てられた船室から出ようとしない。
船室でしょっぱい顔をしている人たちは放っておいて、私は船の舳先あたりで海を眺めていた。
穏やかな波の割に、足元が揺れている。
上野も信濃も海が無いから、こっちに来てからはあまり馴染みが無かったな。
そういえば今回はほむらの事で頭がいっぱいで、桜姫へのお土産を買い忘れちゃった。お菓子は日持ちがしないし、だからと言って女物の装飾品を貰っても、桜井くんは嬉しくないだろう。
……装飾品、なんて考えたせいか、連想ゲーム的に髪紐の事まで思い出して、私は慌てて首を振った。
とりあえず髪紐を駄目にした事は、帰ったらちゃんと謝ろう。
そしてほむらの件が落ち着いたら、本腰を入れて『死ぬまで気絶している方法』を探さないと……
船ががくんと揺れて、私は慌てて縁を掴んだ。周囲で悲鳴が上がり、小さな子供が転んで泣き出す。
抱き上げてあやしている母親をぼんやりと眺めながら、私は何か違和感を覚えた。
何だろう?
さりげなく周囲を見回すと、甲板に居る人の中でひとりだけ、体勢を崩さなかった人がいた事に気が付いた。
暗褐色の羽織、同色の袴。圧のある風貌なのに、空気のように存在感が薄い。
そしてこめかみには古い刀傷。
――この人、徳山の使者だ。一緒の船に同乗していたのか。
清雅。縁談のお断り。――船上。
いつだったか桜井くんから聞いた『清雅ルート』の説明を思い出す。
「桜姫が清雅に惚れてさ、影勝に反対されてんのに駆け落ち同然で肥後に行っちゃうんだよ。それで子供が出来て。清雅は家靖の養女を正室に迎える事になっていたから、それのお断りと、桜姫を正室に迎えますって家靖に話しに行くんだ。そしたら帰りの船の中で、清雅が血ィ吐いて急逝した……」
ここに桜姫は居ない。でも……
ふと顔を上げると、使者の姿はいつの間にか消えている。
もやもやとした不安が胸を塞いで、私はしばらくその場から動けなかった。
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この世界では船旅にビュッフェなんか無いので、食事は基本持ち込みだ。
持ち込んだ食事に毒は盛れない。
そう思っても、もやもやとした気持ちは晴れないまま、私は船室に戻った。
隔壁で仕切られた部屋は薄暗くて、家臣が別室に控えていても窮屈な感じがする。
「ただいま戻りました」
扉を開けて中を覗くと、眉間に皺を寄せて座っている美成殿と、片膝を立てて項垂れている清雅が、ちらりとこちらを見た。
「子供は元気で……ッ」
いいですね、と嫌味を言いかけた美成殿の台詞が、吐き気のせいで途中で止まる。
体調を思いやるべきか、笑いとばした方が元気が出るかと迷っていると、ふたりの前にお饅頭がひとつ置かれているのに気が付いた。
おまんじゅう……。
じっと見ている私を見て、清雅が口を開く。
「それはどこかの娘が、美成に差し入れた菓子だ」
「「お殿様に」と言っていたでしょうが。耳の穴をかっぽじって、よく聞いていたらどうです?」
「視線がお前に釘付けだっただろうが!」
がばりと元気に立ち上がったふたりを見て、怒らせた方が正解だったと、図らずも気付く羽目になった……けど、それはどうでもいいんだよ。
現世で加藤清正の死因は特定されていないけど、こちらも毒殺説がある。
これが毒饅頭かどうかは置いておいて、アヤシイものは全排除。死亡フラグは叩き折っておくに越した事はない。
ついでに「帰りは陸路を使え」と忠告しておけば完璧だ。
「おなかが空きました。貰ってもいいですか?」
私は子供の特権を活かして饅頭を手に入れ、それをこっそりと海に投げ込んだ。




