270.肥後遠征4
阿蘇での用事は済ませたけれど、美成殿が戻ってこない。一緒に帰る予定なので、私もまだ肥後に滞在中だ。
清雅は領主なので、普通にお仕事をしている。
こうして仕事振りを見ていると『武断派』の印象とは裏腹に、意外と文官って感じがするな。
計算が早い。そして土木工事が達者なんだよ。
城の普請や堤防なんかも、自分で差配している。
そうだ、利根川の氾濫状況を調べて、そのうちに堤防を作らなきゃと思っていたんだっけ。この滞在中に勉強できないかな? と思って、こそりと設計図を覗かせて貰ったけれど、ちんぷんかんぷんだ……
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「清雅殿は秀好様にお仕えする前、何か別のお仕事をしていたのですか?」
休憩時間を見計らって声を掛けると、考え事をしていたらしき清雅が、はっとした顔でこっちに向き直った。
「すまない。仮にも沼田の城代を招いているのに、接待もせず」
「いえ、それはお気になさらないで下さい。私はお酒が飲めないので、こうして自由にさせて頂いている方が気楽で楽しいです」
仮にも、とうっかり出ちゃったあたりが、私が『城代』なのを忘れていたって感じがするな。まあそれは別にいいんだけど。
あっちはあっちで、私にどう対応したらいいか困っていたらしく、ほっとした空気を出して返事をする。
「俺の父親は鍛冶屋だった。幼い頃に死んだがな。それで、当時はまだ小山田に仕官したばかりだった秀好様のところに預けられた」
鍛冶屋の息子か、そりゃ手先が器用そうだ。だから何でも出来ちゃうのかな?
「私もそのうちに、利根川の堤防について考えなければと思っているのですが、全然勉強不足です。清雅殿は何でも出来てすごいですね」
「秀好様が、何でもご自分でやる方だったんだ。それを見て育ったせいかな。美成はそれが不満らしく「少しは信頼して任せて欲しい」と文句を垂れていたが」
美成殿は優秀だからなぁ。そういえば越後では、兼継殿が全部仕切っているから、「上森殿は兼継に全権委任なのですね。俺も執政になりたかったな」と羨ましがっていたっけ。
思い出し笑いと苦笑を混ぜて、清雅を見返す。
「私は、家臣の助けが無ければ何も出来ません。私の尊敬する方が『家臣を信頼し、上手く使いこなすのが城主の仕事』とおっしゃっていたので、それに倣おうかと思いまして」
「それは越後の直枝殿か?」
「あれ? お話した事がありましたっけ?」
「いや。美成から話を聞いた事がある。貴女とは親しいそうだな」
苦笑いしながら、清雅が自分の隣をぽんと叩いたので、私もそこに腰を下ろす。
「子供の頃、越後に人質に出されていまして、その時に世話をして下さったのが直枝殿なのです。親しいというか……こちらが一方的に尊敬しているだけですよ。直枝殿からは呆れられています」
「呆れられる?」
「はい。せっかく忠告して頂いても、私はそれを活かす事が出来なくて……呆れて、嫌われてしまいました」
こんな話を兄上や美成殿にしたら、仲立ちしようと気を使わせてしまう。
でも清雅は兼継殿と接点がないから、つい弱音を吐いてしまった。
「嫌われたとは、どういう事だ?」
「注意して行動しなさい、と忠告されていたのに、それを聞かずに危険な目に遭ってしまったり……そのような事が続いて、見限られてしまいました」
「なるほど。だがそれは、嫌われた訳ではあるまい。しかし解るような気はするな。貴女は「隙がある」と言われた事は無いか?」
「……」
あちこちで言われまくりだよ。何で知り合って間もない清雅にまで……
愕然として隣を見上げると、清雅が苦笑したまま、そばに置いた薬鑵からお茶を注いでくれる。
お茶に口をつけるのを待って、清雅がゆっくりと口を開いた。
「美成が『雪村』と呼ぶからそう呼ばせて貰っているが、雪村とは真木信倖の弟の名だろう。貴女の名は何だ? 俺は貴女の、本当の名を呼びたい」
「? 本当の名が『雪村』です。私はちょっと病を患っていまして、今はこのような身体ですが、本当は男なのです」
毎度おなじみのウソ説明をすると、清雅がまじまじと私を見返した。




