265.再会1 ~side K~
目の前で繰り広げられる光景が 現実味を帯びていない。
なのに 水に落とした墨が広がるように、じわりじわりと心が蝕まれていく。
――恐れていた事態が、現実になってしまった。
「兼継、外せ」
主君に命じられるまで、兼継は微動だに出来ずにそれを眺めていた。
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「雪、他に好きな男がいるぞ?」
桜井からそう聞かされたのは何時だったか。
あれは確か、そぼ降る雨が庭石を濡らす初夏の頃。雪が正宗と親しくしている件について、釘を刺してはどうかと忠告された日のことだ。
そう言っておきながら、兼継自身が雪を憎からず思っていると知るや否や、兼継に対してもこの様に牽制してくるのだから、敵か味方か判ったものではない。
しかし敵であっても味方であっても、聞き捨てならない台詞ではあった。
こちらは怖がらせないように少しずつ、時間をかけて距離を詰めているというのに、最初からその距離が無い男が居るというのだから。
挙句にその男は、雪村とは面識が無い筈の肥後の大名、加賀 清雅だと言う。
加賀といえば、世に聞こえた武断派。謀略よりも、己の武勇を頼みとする戦略を好む。外見も鎮西の大名らしく、陽に灼けた肌と鍛えられた肢体が特徴的で、雪深い北国で知略に長けた兼継と、似ているとは言い難い。
あのような男が好みか。道理でこちらはなかなか進展しない訳だ。
いや、このような事は、時間をかければどうにかなるという話では無い。
恋など、落ちる時は一瞬だ。
……
…………本当に 一瞬だったな。
頬を染めて俯く雪と加賀を思い出し、兼継は頭を振ってその残像を追い払った。
いつだったか、桜井が言っていたな。
本来の歴史から外れる出来事には『歴史の修正力』が働くと。
雪村が生き残る運命ばかりが『本来とは違う未来』ではない。恐らくは、雪を手に入れたいと望むこともまた『違う未来』なのだ。
その証拠に、想いを伝えた途端に 雪が遠くなっていく。
ふた月のうち数日だけの逢瀬も、髪に触れる事すらも、おそらくはもう出来ない。
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「雪、肥後に行くってさ。ほむらを復活させるんだと」
がさつな物言いをして、桜姫――桜井が菓子を摘まむ。
それについては、兼継が席を外した後も残っていた主君から経緯を聞いたが、越後の奥御殿に籠っているこの姫も知っているとは思わなかった。
加賀だけではない。
桜姫に憑依しているこの男の事もまた、雪は随分と頼りにしている。
場合によっては 兼継以上に。
じろりと見返した兼継に、小さく可憐な姫は腕を組んで、聞きたい事について先回りした。
「肥後に発つ前に、挨拶に来たんだよ。ほむらが復活するまで、越後で世話になってくれって」
この男とは、随分とまめに連絡を取り合うのだな、私には文のひとつも寄越さないくせに。
そこまで考えて、兼継はふと気がついた。
この男ならば知っているかも知れない。
「先日、あの娘が『元の世界に戻る』と言っていた。お前とは違い、この世界に転生したと認識していたがどういう事だ」
「あれ? 雪、そこは話しちゃったんだ?」
やはり知っているのか、面白くないな。
「何かあれば私を頼れ」と伝えた筈なのに、どうしてあの娘は私に相談しないのだ。
むすりと黙り込む兼継から目を逸らし、桜井は歯切れ悪く口ごもる。
「元の世界で生きていたんだよ、雪。ええと……ちょっと前に、それが判って」
「ならばあの娘を『雪村』に戻したらどうなる? 何を切っ掛けとして、元の世界に戻るのだ」
「……」
表情を改めて、大きな瞳がじっと兼継を見返してくる。
暫くそのままでいた神子姫は、意を決したように口を開いた。
「雪はあんたに知られたくないみたいだけど、俺があんたなら、教えて欲しいと思うだろうから教えておくよ。『雪村』に戻ったら、おそらく雪は、元の世界に帰る事になる。前みたいに『雪村の中に一緒に居る』って訳には いかないみたいだ」
「そうか」
「……それでさ」
暫し逡巡した後で、言葉が続く。
「あんたは「自分が契りさえしなければ『雪村』には戻らない」って思っているだろ? あとはせいぜい、正宗や清雅に掻っ攫われなければいい、くらいは考えているだろうけど。……実はさ、「他にも方法がある」って事が解ったんだ。ただその条件が解らないから、それで戻れる保証は無い。そして雪は今、そっちの方法で戻るつもりで模索している」




