262.再会1
夕餉の席で焼き魚をつついていると、兄上が何気なく聞いてきた。
「そうだ、政所様から茶会の誘いが来ているけれど。行く?」
もう何度もお茶会には出席しているから、お茶の作法はばっちりだ。そもそも元・天下人正室からのお誘いを「断る」なんて選択肢、最初から無いですよ? 兄上。
それでも気遣ってくれているんだろう。兄上が慌てて付け加えた。
「僕も上洛するから、道中は一緒だよ。そうだ、茶会でひとりになるのが怖いなら、桜姫もお誘いしようか?」
清雅の一件以来、兄上がやたらと過保護になってしまった。気が緩んで泣いちゃったのは失敗だったな……と反省しきりだ。
『雪村』が、喧嘩に負けてめそめそするなんて変だったよね。雪村、ごめん。
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「兄上。上方の宴から戻りましたら、そろそろ私も沼田に戻ります。随分と長い間、家臣たちにまかせっぱなしにしてしまいまいました」
「そう? 無理してない? あっちは矢木沢と六郎がいれば大丈夫だよ?」
「兄上、お気遣いは嬉しいですが、それだと何だか、私が役立たずみたいです……」
「あ、ごめん。そういう意味じゃなくってさ」
「あはは。解っていますよ」
他愛無い話をしていると、兄上がちょっと探るみたいな顔になった。
「ええと、それじゃあ桜姫はどうする? 上森家では「このままでも構わない」って言ってくれているけれど」
「そうですね……」
正宗の一件の後、桜姫は兄上に送られて越後に戻った。あれからもうひと月以上が過ぎたのか。
桜井くんは、私が清雅にボロ負けしたのも、ほむらを狩られたのもまだ知らない。
ほむらが居ない状態でお迎えしても、守り切れる自信が無い。それこそ今度は桜姫を奪いに来られたら、全然太刀打ちできない。
「暫くの間、守護は上森家にお願いしたいと思います」
「そうだね。それがいいよ」
「しかし、こちらの事情は知らせた方がいいですよね。本来、姫の守護を託されたのは真木家です。炎虎を失ったと知らなければ、ただの責任放棄と取られます」
上森家は『義』を重んじるから、きちんと伝えておいた方がいい。……これ以上、兼継殿に嫌われるのも嫌だし。でも顔を合わせるのは気まずいな……
「わかった。真木の当主は僕だから、この件は僕から上森殿にお伝えするよ」
元気づけるように兄上が請け負ってくれたので、私はほっとして頷いた。
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今回の宴には舞田殿も来るとの事で、宴の前日、私は兄上と舞田邸を訪れた。
お茶会の時にお借りしている加賀友禅は、舞田殿からの贈り物だって聞いたから。そのお礼とお見舞いを兼ねて。
「怨霊討伐の礼ですぞ? あれでは足りないくらいです」
「申し訳ありません! そのような事になっていると知っておりましたら、最初から女子の装いで出席させたものを!!」
領地に充満していた怨霊の瘴気が消えて、顔色が良くなった舞田殿は、ゆったりと笑っているけれど、お茶会で女装しているのを知らなかった兄上は、逆に真っ青な顔になり、畳に頭をぶつけて平伏した。
ま、まずい……「報連相」を怠ったことを、また怒られる……
恐縮する兄上と、あわわと慌てている私を交互に見て、舞田殿が揶揄ってきた。
「兄君は、妹姫が可愛くて仕方がないと見受けられますな。男子であればずっと手元に置いておける、と思うておられるのでしょう。仲が良くて結構なことです」
「「いえ、そのような」」
台詞がハモり、同時に顔を見合わせた私たちを見て、舞田殿が楽しそうに笑う。
そしてぽつりと「清雅はこの姫と、思い違いをしているのではないかな」と呟いたけれど。その声は小さすぎて、私も兄上も聞こえなかった。
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舞田殿の御前を辞して帰る途中、前方から美成殿に先導されて、影勝様と兼継殿が入って来るのが見えた。
入れ違いに挨拶に来たんだろう。
立ち話をしている間、私は兄上の陰から、こそりと兼継殿の様子を窺った。
兼継殿は いつもと全然変わった様子は無い。なのにやっぱりどこかが違う。
何がいつもと違うんだろう……
「雪村」
突然名前を呼ばれて、私ははっと我に返った。
兼継殿が、ふと表情を曇らせて目を伏せる。
「炎虎の件は聞いた。労しい事だ。気にするなとは言えぬが、くれぐれも自分を責めるな」
鎮痛な面持ち。こちらを気遣った静かな声。
いつも通りの兼継殿で、影勝様も美成殿も、そして兄上も、違和感なくスルーしている。
おかしいところなんて無い。
それなのに突然、私は違和感の正体に気が付いた。
全然、触れようとしてこないんだ。
いつもの兼継殿なら、肩くらい叩いて慰めてくれるのに。
……私、本当に兼継殿に嫌われちゃった。
でも。
怯む気持ちを奮い立たせて、私は兼継殿を見上げた。
赦して貰えないかも知れないけれど、髪紐の件はちゃんと謝ろう。
怒らせたまま、嫌われたままお別れしたくない。
「あの、兼継殿。あとで時間を」
「――上森殿!」
私の声に低めの凛とした声が被さって、皆が一斉にそちらを向く。
「話の最中にいきなり割り込むな。無作法でしょう」
喧嘩腰に美成殿が応じたけれど。虎のように鋭い視線は、まっすぐにこちらに向けられていた。
――清雅!
ぎょっとして、私は思わず兄上の袖に取り縋った。
清雅と私を交互に見て、兄上が戸惑った表情になる。そして清雅も、影勝様と兄上を交互に見た後で兄上の、いや私の方に突進してきた。
「……っ!」
慌てて隠れる私を、兄上が庇うように立ちはだかる。
咄嗟に間に割り込んだ美成殿をも押し退けて、清雅が懐から何かを取り出した。
「姫。約束通り、宝玉を返しに来た」
見覚えのある巾着袋を差し出す清雅を、兄上も影勝様も、そして兼継殿も、唖然として見返した。




