255.消滅1
「こんな事があったばかりだからね。暫くの間は僕の傍に居なさい」
と、兄上に連れ帰られて、今の私は上田に居る。
沼田での生活に馴染んでいたから、久し振りの我が家が何となく落ち着かない。
いつもなら私が対応している桜姫の送迎も、兄上がしてくれた。
「兄上、ほむらも戻りましたし、私なら大丈夫ですよ?」
「駄目だよ。また拐かされたらどうするの」
兄上、今まで私の事は女子扱いしていなかったのに、いきなりどうしたんだろう。でも越後に行かずに済んだ事に、私は内心ほっとしていた。
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「兄上、何かお手伝い出来ることはないですか?」
「いいからゆっくりしていなよ。妖狐討伐なんて疲れたでしょ?」
ここの仕事は手が足りているらしく、手伝いを申し出たけれど断られてしまった。
なので特にする事が無い私は、縁側でぼけっと庭を見ている。
兵糧用にと植えられた木々には、りんごの白い花が咲いていた。その根元に咲くのは延胡索だ。これは鎮痙・鎮痛の生薬に配合されるって兼つ……私は慌てて頭を振って、考えるのを止める。
駄目だなぁ。やる事が無いと、考え事ばかりしてしまう。
空を見上げると、綺麗に晴れ渡った空に、わたあめみたいな雲が浮かんでいる。
名前も知らない小鳥が すいと飛んでいく。
『お前が雪村を見捨てて 私を選ぶ筈が無い』
兼継殿のその言葉を、私は否定出来なかった。
だって雪村は、いきなり自分の身体に入って来た私を受け入れてくれた、この世界での恩人だ。
居候のくせに、雪村の意向に逆らった事なんて何度もある。
それなのに「出て行け」なんて、一度も言われた事がない。
兼継殿を選ばないんじゃない。
雪村の人生を乗っ取るなんて 出来ないだけ。
どうして私は『雪村』なんだろう。
どうして兼継殿に恋をしちゃったんだろう。
涙が出てきそうで慌てて視線を落とすと、突然、目の前の空間が揺らいだ。
ほむらが姿を現して、激しい咆哮をあげる。
召喚無しで出てくるなんて、こんな事は初めてだ。私は慌てて庭に飛び下りた。
「どうしたの? ほむら」
ほむらは鋭い目つきのまま身を低くして、ぐるる……と低く唸っている。
落ち着かせようと抱き付いて喉を撫でたその時、目の前で地面がどん! と跳ね、私は慌ててほむらを抱き締めたまま身を低くした。
地震? ……いや、これは。
もくもくと山から煙が立ち上っている。
青い空を昏く覆っていく噴煙を、私も、邸の家臣たちも領民も、無言のまま見上げていた。
――浅間山が、噴火した。
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「山の噴火を甘く見ないで。雪村、駄目だ!」
「私にはほむらがついています。浅間山の神も、御神体が祀られている霊獣を弑すような事はしないでしょう」
言い返せなくなって、兄上がぐっと詰まった。
ほむらの御神体は、浅間山山頂の祠に収められている。まだ小規模な噴火しかしていない今ならまだ間に合う。
「御神体を 回収してきます」
霊獣の御神体は唯一無二。損壊してしまったら、霊獣は消滅する。
危険なのは解っていても放置する事は出来ない。
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小規模な噴火といっても、頂上付近は降り注ぐ火山灰で視界が悪い。
熱と息苦しさに咳き込みながら、私は周囲を見回した。
灰で曇った山頂は、風光明媚だったかつての面影は微塵も無い。
作り直したばかりだった祠も、火山灰に塗れていた。
積もった灰を払い落して扉を抉じ開けると、開けた扉からも熱風が噴き出してくる。
熱い、息苦しい。
早く回収して山を下りなきゃ。
首から下げた巾着袋に御神体の赤虎目石を入れ、私は逃げるように山を下った。
先日、ニュースで浅間山山頂を見る機会があったのですが、石だらけで全然風光明媚じゃありませんでした。
ここは「異世界の浅間山」ってことで。




