254.奥州恋歌12
轡を取り、邸から出ていく兼継殿が見えて、私は慌てて縁側から飛び降りた。
兄上の姿は見えない。
おそらくまだ、館家からの使者の対応中なんだろう。
「兼継殿!」
門から出たところで声を掛け、私は兼継殿に駆け寄った。
三歩手前で立ち止まり、少し戸惑ったまま兼継殿を見上げる。
「どうした? 私に何か用か」
いつもと変わらない涼やかな表情。
それなのに、何かが違う。
暫く黙ったまま向かい合っていたけれど、やがて兼継殿が視線を逸らした。
「――何も無いなら、もう良いか?」
「えっ……」
どうしよう。私、何か兼継殿を怒らせた? ……あっ!
「何か怒らせた?」じゃないよ。そういえば、まだちゃんと謝ってない!
私は慌てて兼継殿に向き直った。
「あの、先日はいきなり帰ってしまって申し訳ありませんでした。ええと、その……驚いてしまって」
「もう 良い」
「……」
突き放すみたいな言い方に 途中で喉が凍り付く。
黙り込んだ私を、兼継殿が少し表情を和らげて見返してきた。
「先日は、こちらの一方的な想いを押し付けてしまって済まなかった。一度、口から出た言葉を無かった事には出来まいが、忘れる事は出来るだろう。負担に思うならば忘れて欲しい」
「そんな事はありません! 私も、私も兼継殿の事」
小さく兼継殿が首を振る。
さらりと流れた前髪が俯いた顔を隠して 表情が見えない。
「気を遣うな。私が『雪村に戻すつもりはない』などと言ったから、館のところに行ったのだろう。お前が雪村を見捨てて 私を選ぶ筈が無い。それに思い至らず自惚れた、私の落ち度だ」
嘘、そんな誤解をされるなんて思わなかった……!
だって雪村が女の子になるイベントは『兼継ルート』のイベントだ。兼継殿以外の相手で戻るなんてありえない。そんな事、考えたことも無かったのに!
きっと女装なんかしたせいで、変な勘違いをさせちゃったんだ!
「あの衣装は違います! あれは……その……そんなつもりはありませんでした! だって証拠に、私は今も女子のままじゃないですか!」
「『その時』になって、急に恐ろしくなったのだろう。私の時もそうだった」
「……」
私がちゃんと、気持ちを伝えなかったせいだ。
ずっと返事をしないまま、こんなに長い間、放置して。
おまけにその間に、他の男の人と会っていたなんて知ったら、酷いと思うに決まっている。
どうしてそれに気付かなかったんだろう。私は最低なことをしていた。
何も言えなくて黙っている私を見て、ふと真顔になった兼継殿が顔を上げた。
「……髪紐はどうした?」
「!!」
ぎょっとして、髪に手をやる。
いつも通りひとつに結った髪は今、何の変哲も無い麻紐で括っていた。
そうだ、私、髪紐を駄目にしただけじゃない。
『他の男の人の前で髪を下ろさない』という約束まで破ってしまった。
兼継殿のお願いも守れてない……!
何て言っていいか解らなくて、兼継殿の顔も見られなくて。
私はぎゅっと目を瞑ったまま俯いた。
+++
ふと気付くと 兼継殿は居なくなっていた。
いつの間にか陰った空から ぽつぽつと雨が落ちてくる。
視界がぼやけるのは涙なのか雨のせいか解らないまま、私は茫然と立ち尽くした。




