252.奥州恋歌10
「雪村、お帰りなさい!」
桜姫がタックルする勢いで抱き付いてきて、私を障子の外へと押し出した。
一瞬遅れて、兄上も部屋の外へと飛び出してくる。
えっ? なにこの熱烈歓迎??
「あの? どうしたの??」
私に抱き付いたまま、桜井くんが小さな声で鋭く囁く。
「どうしたの、じゃないよ! お前、本当に何やってんの? 何で正宗に剥かれてるんだよ! 大丈夫なのか!?」
「え、何が? 何のこと?」
「まずは医者に見せる。雪村、おいで」
「急にどうしたんですか、兄上!?」
しまった! これ、なかなか帰らないから心配かけたってやつだ!
「今回は怨霊じゃなく”霊獣”討伐。出羽で妖狐討伐だよ」って伝えてあったし、少しくらい遅くなっても大丈夫だと思っていたのに。
なのに何で兄上まで来るような大騒ぎになってんの!?
少し遅れて、兼継殿が部屋から出て来たのが見えて、私は慌てて声をかけた。
「兼継殿、これはいったいどうしたのでしょうか?」
「あと一刻も戻るのが遅ければ、戦になるところだったぞ。よかったな」
「?」
ますます解らない。
二人にもみくちゃにされながら、私は金髪先生の診療所に運ばれた。
*************** ***************
「……という訳で、妖狐討伐で霊力を使い過ぎたので、ほむらの召喚が出来なくなりまして。歩いて帰って来たので遅れました。ご心配をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げると、兄上と桜姫が同時に深い吐息をついた。
熱烈心配の理由は、正宗が私の私物を送り返してきたせいだった。あの時に置いてきた小袖は、きちんと洗濯されて糊付けまでされている。
意外と律儀だなと感心する気持ちと、こういうトラブルになるから送り返さなくても良かったよ……とげんなりする気持ちが半々だ。
私はちらりと、今、身につけている浅葱色の小袖を見下ろした。よし、これは『館家で借りた洗い替え』って事にしよう。
そして私は改めて、端然と座る兼継殿を見つめた。
……そういえば、どうしてここに兼継殿がいるんだろう。
視線に気づいたのか、顔を上げた兼継が軽く咳払いをした。
「信倖、私の用向きを言っていなかったな。伝えてよいか?」
「あ、ああそういえば、話があるんだったよね」
忘れていたよ、と少しばつが悪そうに兄上が微笑む。
兼継殿が、傍らに置かれた包みを引き寄せて兄上の前で広げると、中から出て来たのは見覚えありまくりな、絢爛豪華な掛下だった。
「うげ!」
「どうかしたか。雪村?」
「あの……何でもありませ……ん」
「そうか」
澄ました顔で兼継殿が、淡々と口を開く。
「十日ほど前、北外れにある村から訴えがあった。人狩りに攫われたという娘が、村に逃げ込んで来たそうだ」
「そうなの? 物騒だね」
「ああ。その娘は「家族の元に帰りたいが、これでは逃げられない。動きやすい着物と取り替えて欲しい」と、これを置いていった」
「うん」
「その村人は引き換えに、浅葱色の小袖と紺絣の袴を娘に渡したと言っている」
「浅葱と……紺絣……?」
みんなの視線が、私に集まってくる。……浅葱色の小袖と紺絣の袴を身に着けた私に。
「……」
「あいにく越後では、人狩りが出た形跡は無かった。真木領でそのような話は出ていないか?」
「……うん、僕は聞いていない。雪村は?」
「…………私も、特には」
しんと静まった空気が重い。
どうしよう、兼継殿の前で、この豪奢な掛下の言い訳もしなければならなくなってしまった。
……何て言えばいいの?
この着物を着て、正宗の母上のところに行って挨拶してきましたって?
そんな事は言えない。言いたくない。
兄上と桜姫だけならともかく、兼継殿には絶対に知られたくない。
戸惑ったような兄上の気配を感じるけれど、何て言えばいいのか解らなくて、私は口を閉ざしたまま項垂れた。
+++
どれくらい時間が経っただろう。
重苦しい沈黙を破るように、兼継殿がぽんと膝を打って立ち上がった。
「では人狩りが出たのは奥州だろう。どうする信倖、使者にこれを持たせるか?」
「そうだね。人狩りをしたのは、間違いなく奥州だから」
忘れていたよ、奥州からの使者も待たせっぱなしだった
そう呟きながら、兄上と兼継殿は部屋から出て行った。




