251.奥州恋歌9
今回は信倖寄りの第三者目線
「雪村様が奥州に赴いて早や十日。未だ戻りませぬ。どうかご指示を」
家老の八木沢から文が届き、信倖は急ぎ沼田へ向かった。
いつもであれば当日中に戻っている。茂上の霊獣討伐ならば多少は時間が掛かるかと暫く待ったが、いくら何でも遅すぎる、と。
「館には問い合わせたの?」
「翌日には早馬を。しかし未だ返事はありません」
憔悴しきったように項垂れた桜姫が、袖で顔を隠して声を震わせた。
「雪村は気付いていないようだったけれど……館殿はずいぶんと、雪村を気に入っていたようなの。このような事になるのなら止めるべきだったわ。雪村に何かあったら、わたくし……わたくしっ……」
泣き崩れる桜姫の肩に手を置き、信倖は信じられない思いで家臣たちを見渡した。
皆、鎮痛な面持ちで項垂れている。
え、ちょっと待って? 何で僕の弟がこんな、拐かされた姫君みたいな扱いになっているの?
そこまで考えて、信倖はやっと『今の雪村』に思い至った。
そうだ、今は女子の身体になっているんだっけ。見た目が昔に戻っただけって気がして、つい忘れていたけれど。
しまった…… 奥州の怨霊討伐を手伝う件、許可を出したのは僕だ。
返事を出す前に、矢継ぎ早に送り込まれてくる早馬が鬱陶しくて、つい。
拙いことになったなぁ。
「信倖様」
困惑を押し隠して顔を上げると、目を吊り上げた六郎とがっつり目が合った。思わぬ迫力に内心びびりながらも、威厳を絞り出して言葉を促す。
慎重派だと思っていた乳兄弟は、いつの間にか誰よりも急先鋒になっていた。
「至急、兵をまとめて下さい。こちらの城代が拐されたのです。取り戻す事は惣無事令に違反しません」
「ちょっと待ってよ。まだ拐されたと決まった訳じゃないでしょ? 今回は霊獣討伐だから時間がかかっているのかも知れないし、もしかしたら怪我をして帰れないのかも知れないし…… まずは館家に再度、問い合わせて」
「怪我ァ!? あんたはまだそんな悠長な事を言ってんですか! 怪我だろうが人狩りだろうが十日も戻らないんだ、これ以上待てるかぁ!!」
「言葉を慎め、この無礼者!!」
ごちんと矢木沢が六郎の頭にげんこつを落としたが、矢木沢自身が納得した顔をしていない。
場が騒然となり、収拾がつかなくなる。
まずい、まずいぞこれは……。許可を出したのが僕だと誰かが思い出したら、非難の矛先がいっせいに僕に向く。どうしたら……。
その時、障子の向こうから来客を告げる家臣の声が聞こえてきて、信倖はほっとして桜姫に向き直った。
「桜姫、兼継が来たようです。少し席を外しましょう」
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客間で端然と待っていた兼継に、信倖は突っ込んで聞かれたらどう答えるべきかと迷いながら、曖昧に微笑んだ。
「どうしたの? 雪村に用事? あいにく今はちょっと居ないんだけど……」
「上田を訪ったらこちらだと言われた。信倖、お前に話がある」
「僕に?」
聞き返したその時、ばたばたと乱れた足音と共に、家臣の一人が客間へと駆け込んできた。手には文と、大きな布包を抱えている。
「信倖様! 一大事にございます。どうぞこちらへ!!」
「いいよ、ここで報告して」
「いや、しかし」
兼継をちらりと見て言い淀む家臣に、いいから、と再度促すと、緊張で強張った顔のまま、家臣が口を開いた。
「只今、館より使者が参りました。雪村様のお召し物と鎧をお返ししたいと。それとこの文を」
弾かれたように立ち上がった信倖と桜姫が、それぞれ家臣の手から文と布包を奪い取る。包みの中の小袖と袴を見た桜姫が息を呑んだ。
「信倖殿、雪村のだぞ!」
悲鳴に近い声と紙を乱雑に開く音。
「取り急ぎ、置いて行った荷をお返しする、雪村が戻っているなら知らせて欲しい、って……何これ……」
桜井、地が出ていたぞ。
そう思いはしたが兼継は口を噤み、黙って二人の様子を見守った。
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「……」
「…………」
幽鬼のように真っ青な顔で立ちつくす二人を、兼継は内心ぞっとして見守った。
……まさかとは思うが。
自分が雪を案じている時も、傍から見たらこのように映っているのだろうか。
発狂寸前としか思えない。
『第三者目線』というものを目の当たりにし、遠い目になった兼継の耳に、おそるおそるといった様子の家臣の声が聞こえてきた。
「殿。舘の使者殿に持たせる返事は如何なさいますか」
「ああ、そうだね。首を刎ねてお返しして」
信倖の掌で文がぐしゃりと握り潰され、青い炎に包まれる。
平常と変わらない笑顔のままだが、纏う空気が苛烈なものに変わっていた。
「信倖、戦になるぞ」
「そうだね、それが何?」
兼継の言葉をにこりと笑って流した後で、信倖がふと耳を欹てた。
足音が近づいてくる。
体重を感じさせないその音は、耳馴染みのあるものだ。
「ただいま戻りました。あれ兄上? いらしていたのですか?」
騒動の張本人が、元気よく部屋の障子を開けた。




