250.奥州恋歌8
遠くで法螺の音がする。
木々の間で数多の松明の明かりが揺れ、頭上を独眼竜が旋回していく。
私は慌てて木の陰に身を寄せて呟いた。
「落ち武者狩りか!」
バレるのは時間の問題だと思っていたけれど。早すぎる上に、追跡が仰々しくないですか!?
本気すぎて、捕まったら打ち首獄門が待っていそうな恐怖さえ感じる。
討伐の助っ人にきてこの仕打ちですよ? どうなの、これ!?
思った通り、正宗は北の『歪』に追っ手を向けたみたいだ。そこを通れば上野まで一瞬で逃げ帰れるんだから、そう思うのが当たり前。
だから私は裏をかいて、南西の越後方面に向かって走って逃げている。
北に逃げたところでほむらが居ないから、『歪』は使えないけれど。
ほむらは長谷堂城での作業に手古摺っているらしく、まだ戻らない。
どちらにしろ ほむらを召喚したら、正宗の『右目』で霊力を捕捉されてしまうから、召喚は無理か。
とりあえず越後まで逃げ切れば、正宗はそれ以上、追ってはこれない。
重くて走りづらい掛下に苛つきながら、私は再び走り出した。
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「――馬鹿な。何故、見つからん!?」
眼帯を足元に叩きつけ、正宗は視線を彷徨わせた。
北の『歪』を使うはず。その予測の裏をかかれ、ならばと炎虎の霊力を探ったが それも捕捉出来ない。
早く見つけなければ。
正宗は痛み始めた右の目に精神を集中した。
妖狐をひとりで討伐するような女が、あんなに非力だとは思わなかった。あれでは平民の男にでも簡単に捕まる。
居所を悟らせまいと炎虎を召喚しないのであれば……何かあれば自分の責任だ。
「正宗、そう苛つくな。女の足だ、遠くまでは逃げられない。じきに見つかるさ」
家臣であり、従兄弟でもある繁実が励ますように声をかけたが、正宗は顔を逸らして吐き捨てる。
「そんな常識が通用する女じゃない。だから苦労しているんだ!」
正宗は色が違う両目に怒りを滲ませて、ぎりりと周囲の家臣たちを睨みつけた。
「周辺、国境の野盗狩りも同時に行え! 越後の国境は特にだ。強盗、人狩り、いや、怪しい男どもは全員引っ捕らえろ!」
大声で指示を出した後、正宗は無造作に左手を上げた。
上空を旋回していた独眼竜がするりと傍らに降り立つ。その背に乗りながら、正宗は小重郎を呼び寄せた。
「越後に行く。あとは頼む」
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「おい! お前のところはどうなっているんだ!? 矢を射かけられたぞ!!」
「上森の領空侵犯をしておいて何を言っている。当たり前だろう。威嚇で済んだのは龍のおかげだ。貴殿だけなら、これ幸いと蜂の巣だぞ」
相変わらず口が減らない、ぶつぶつ文句を言いながらも、正宗は気もそぞろに兼継の隣に立つ影勝に向き直った。
「上森殿。こちらに雪村……真木 雪村は来なかったか。まだ来ていないのであれば、領内を探す許可を頂きたい。詮索は無用に頼む」
まるで咎人を探すようだな、そう思いながら影勝は口を開いた。
「断る。越後は上森の領地だ。館に領内を踏み荒らされるのはぞっとせん」
「いや、しかし」
話は終わりだ、と言わんばかりに、影勝は正宗の言葉を遮った。
「信濃の、真木 信倖殿に問い合わせてはどうか。何があったのかは知らんが、どちらにせよ雪村が帰る先は此処では無い」
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正宗が居なくなった後、影勝は身じろぎもせず隣の様子を窺った。
そこからは、何の感情の揺らぎも読み取る事は出来ない。
仕方なく、影勝は自分から口を開く事にした。
「兼継。龍を使って捜索しても良い」
「必要ありません。これは館と真木の問題です」
公私の混同はしないという事か、影勝は内心 吐息をついた。
兎にも角にも、上森領内に居るのなら滅多な事は起きまい。領内の治安には最大限の配慮をしている。
そうは結論づけたが、もう一度 影勝は念を押した。
「……それで良いのか?」
しばらくの間があった末の主君の言葉に、兼継は静かに目を伏せた。




