249.奥州恋歌7
「正宗様、少し宜しいですか」
「何だ、小重郎」
不貞腐れてひっくり返ったままの正宗に、傅役の支倉 小重郎が声を掛けた。
正宗が幼少の頃から仕えている小重郎には、思い通りにならなくて拗ねている子供のようにしか見えない。
裾を払って座り、小重郎は口調を改めた。
「先程の騒ぎですが、正宗様は本気でおっしゃっておられましたか? だとしたら、あのような脅しは正直申し上げて愚策です。そもそも討伐の助太刀を依頼しておきながらのこの所業、真木家当主に何と弁明なさる御積もりですか。もしも今、あの方の身に何かあれば、真木と戦になりかねません。そこまで考えておられましたか?」
「今日は母上に、会わせるだけのつもりだったんだ……。気に入らんと言われたら、母上には生涯、出羽に居て貰おうと」
「寝惚けた事を仰いますな。縁組は家と家との問題。母君のご意向ではなく、真木家当主と折衝すべき事案です。真木と縁続きになる事で、当家にどのような益があるか。それが肝要にございます。此度は丁重にお帰り頂き、詫びは改めていたしましょう」
「嫌だ! このまま帰したら、あいつはもう二度と俺に会ってくれない!」
「そのような事はありません、とは申しません。しかしこのまま強引に事を進めては、取り返しがつかなくなります。どうぞ私にお任せ下さい、正宗様」
その時、遠くから絹を裂くような悲鳴が聞こえてきて、正宗と小重郎は耳を澄ませて黙り込んだ。
「何だ?」
「はて。鼠にでも驚いたのではありませんか?」
「……まさか」
嘯いた小重郎に構う事無く、顔色を変えた正宗が部屋から飛び出していく。
小重郎は 眉間に寄った皺をほぐしながら後に続いた。
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「馬鹿な。姫は部屋から出ていません」
「……何故、逃げ出した事に気付かなかった」
「物音など何もしませんでした。あのように消沈しておりましたし、まさか屋根から逃げるとは……」
情けない声での言い訳を聞き流し、正宗は脱ぎ捨てられた打掛に触れた。
「憔悴した姫様がお可哀そうで……甘いお菓子を口にしたら気が晴れるのではと中に入りましたら、このような……」
正宗様が姫様の為にご用意したものです、ってお教えすれば、お気持ちも解れると思ったんです。そう言って泣く侍女を責めるのは酷というものだろう。
侍女なりの、主君への忠義なのだから。
打掛を手に震えている正宗の背後に控え、小重郎は溜め息を押し殺した。
『今はお互い冷静ではない。自分に任せろ』と正宗を説き伏せる。
それで事が収まれば良し。しかしおそらく正宗は、彼女を手放さないだろう。
ならばこれ以上拗れる前に脱出させ、逃げ切るまでの時間稼ぎをするしか無い。そう思っていたのに、まさかこんなに早々と露見するとは思わなかった。
「俺の右目を怖がらない奴がいたんだ。お前以外では初めてだぞ」
嬉しそうに話していた正宗を思うと心が痛む。
女性だと言うなら、添い遂げさせてやりたいとも。
同盟関係にはなくとも、神子姫を介して真木と上森は繋がりが深い。
その関係を鑑みるに、上森と対立しがちな館と同盟する利点など、真木にしてみれば無いに等しい。
これからの事を考えるなら、不器用な当主の為にもこれ以上、真木家当主の心情を悪化させる訳にはいかなかった。
正宗はきっと眦を吊り上げて 周囲の家臣を見渡した。
逃げても無駄だ。行先ならば予想がつく、今ならまだ間に合う。
「北の『歪』だ! 逃げ帰るなら『歪』はあそこしかない! 取り逃がすな、何としても連れ戻せ!!」
ブチギレ寸前の当主の怒鳴り声に、家臣たちが一斉に震え上がり、蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
背後に控えた小重郎に、正宗はぽそりと呟いた。
「嫌いだの顔も見たくないだの。あいつは俺に対して、容赦が無さすぎないか?」
「そう言われるような事をしているからでしょうね」
小重郎は、静かに頭を下げて進言する。
正宗は吐息をついて頭を振った。
「お前も俺に対して、容赦が無さすぎる」




