24.雪村の傷心
「雪村と離れたままは淋しいの。お願い、わたくしも兼継殿のお邸に一緒に連れて行って?」
桜姫に可愛くお願いされた時は、正直そうしたいなーと思ったけれど、私の一存でどうにか出来る問題じゃない。
だって、兼継殿のお邸だから。
潤んだ瞳で見上げてくる桜姫。その頬を両手でつつむように触れ、私は諭すように話しかけた。
これ以上ごねられたり、泣き出されても困る。
「兼継殿に、遊びに来てよいか聞いておきます。姫は影勝様の妹君なのですから、やはり奥御殿に居るべきだと思いますよ」
「そうですよ、姫さま!」
どこに居たのか、奥御殿の侍女衆がわらわらと湧き出てきて、私から姫をひっぱがした。
「私どものお世話が至らなかったようだわ。ごめんなさい、雪村。大事な姫をお預かりしているのに」
「いいえ、皆様にはよくして頂いていると思っています。今後とも 姫をよろしくお願い致します」
恐縮させたのが申し訳なくて、笑顔を作ってお願いすると、年若いふたりの侍女が、額に手をかざしてふらりとよろけた。
え? 貧血?
「雪村! ここでそういうことをしたら危け……もがっ」
「さあさあ姫さま、そろそろおやつのお時間ですわ」
大勢の侍女に取り囲まれ、口に餅を突っ込まれた桜姫が運ばれていく。
……手玉に取られている桜姫を見るのは初めてかも知れない。
さすが兼継殿が差配する 奥御殿勤務の侍女衆。
隠密かと思うような手際だな。
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さて、姫が侍女衆に拉致られてしまい、さっそく私は途方にくれた。
午前中くらいは 暇つぶしになると思っていたのにな。
正直、越後に来てから やることが無くて暇なのです。
客分として扱われているから、直枝邸で何か手伝おうとしても断られるし、兼継殿の仕事なんて それこそ出る幕なんてない。
怨霊退治くらいしようかなと思っても、越後では三柱の神龍が南・東・西の水辺に祀られているから、領内は神気に包まれていて、怨霊が出ない。
ちなみに北にも一柱の神龍が祀られていたけれど、これは館との戦の折に正宗に奪われている。
その神龍不在の「冬之領域」ですら『歪』が塞がれているくらい、越後の治安は徹底していた。
ちなみに『歪』というのは異世界の概念で、『怨霊や霊獣の領域』と『こっちの世界』の境目にある裂け目のこと。
土蜘蛛などの怨霊はここから出てくるから、越後では領内の『歪』を全部塞いでいる。
そうなると暇つぶしは鍛錬か、城下の畑の手伝いくらいしかなくて……
あれ? 信濃にいた頃と、そんなに変わんないや。
私は懐から、つい先ほど届いた 兄上からの文を取り出した。
『真木は武隈から離れて、富豊に臣従することになった』旨など、兼継殿経由で聞いた内容の他に、あの騒ぎは、克頼様が雪村のことを「穀潰し」と嘲ったことに、桜姫が腹を立てて起こったらしき事が書かれていて……
正直、しょんぼりしている。
今の雪村は仕官している訳じゃなく、兄上の補佐をしている。
この時代は、家族で家を盛り立てるのが当たり前。だから兄上のそばで、真木のために働くことに何の不満も無かったけれど。
……それを他人に罵倒されると、やっぱり気になる。
史実の真田幸村は、上杉の後で豊臣に人質に出されて、そこで仕官していた。
もしもこっちの雪村も仕官していたら。
五年前に上森への仕官が叶っていたら、こんな事にならなかったのかな。
これはゲームの設定だから、私にはどうしようもない。
どうしようもないけれど……か弱いふりして実は元気な桜姫が、あんなに真っ青になって。上森家や美成殿、あちこちに迷惑を掛けた大元の原因が私だとしたら、地味にヘコむ。
……うん。考えても仕方がない。悩んだところで、どうしようもないんだから。
気分転換も兼ねて 今日は鍛錬場に行こう。
今日は桜姫に「庇ってくれてありがとう」と伝えるつもりだったのに、言いそびれてしまった。
私は大きく息をつき、兄上からの手紙を懐に戻して立ち上がった。
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朧月が空にかかり、薄い月明かりが辺りを照らしている。
寝付けなくて部屋を出た私は、庭に降りてぼんやりと空を見上げた。
兄上が暫く戻れないなら、私が上田に戻ろうかな。
桜姫も 奥御殿の侍女と上手くやれているし、置いていっても大丈夫そうだ。
明日にでも兼継殿に 姫の事をお願いして……
「雪村」
突然、背後から本人の声がして、私は驚いて飛び上がった。
振り返ると、当然ながら兼継殿が立っている。
朝と同じ出で立ちだから、戻ってきたばかりなのかもしれない。
ああ、こんな事が無ければ兼継殿も、こんなに遅くまで仕事をせずに済んだんだろうな。
でも申し訳ない気持ち以上に、こんな夜中にどうしてここに? という疑問の方が勝って、私は思わず聞き返した。
「兼継殿。どうしたんですか?」
「それはこちらの台詞だ。越後の夜はまだ寒い、風邪をひくぞ」
着ていた羽織を渡されて、私は慌てて首を振った。
「私は大丈夫です。それにそれでは、兼継殿が風邪をひいてしまいます」
「寝間着一枚のお前よりましだ。いいから羽織れ」
頭の上から、羽織をばさりと被せられた。
世話役だったと聞いたけど、兼継はまだ雪村のことを子供扱いしているんだなーと、何だか可笑しくなる。
不思議そうに見返してきたので、私は笑いを堪えて説明した。
「いえ、子供の頃を思い出していました。冬に何も羽織らずに遊びに出ようとした私に、やっぱりこうしていただいたな、と」
「そんな事もあったな。まさか尼寺に行っていたとは思わなかったが」
突然出た桜姫の話題にふと心が曇り、それを笑って誤魔化したけれど、兼継殿には通用しなかったらしい。
少し気遣わしげな声音が、ぽつりと落ちる。
「信倖から、文が届いていたそうだが。何かあったか?」
「いえ、特に何も。兼継殿から伺ったお話と同じ内容でした」
私の返事に、兼継殿が微かに苦笑する。
そして殊更に明るい声で話し出した。
「相変わらず、お前は嘘が下手だな。それでは戦国の世は渡っていけまい。もっと上手くつけるようになれ」
「兼継殿が見透かしすぎなのです。それに私の世話役は、とても真面目な方でしたから、嘘のつき方など教えてはくれませんでした」
「技は見て盗むものだぞ。私は嘘をつくのが上手いのだがな」
「上手すぎては、盗みようがありませんよ」
他愛のない話をしていたら、いつの間にか心が軽くなっていた。
そうだ、つい楽しんでしまったけれど、いつまでもこんな事をしていては、本当に兼継殿が風邪をひく。
羽織を返して、私は改めて向き直った。
「兼継殿、ありがとうございました」
ぺこりと下げた頭を優しく撫で、あたかかくして寝ろ と、やっぱりこども扱いな事を言って、兼継殿が戻っていく。
何も聞かないでくれてありがとう
兼継殿の後ろ姿に、私はもう一度だけ頭を下げた。




