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224.嘘


 私が落ち着くのを待ってくれたんだろう。あれから少し()って。

 人払(ひとばら)いをした桜姫の部屋で、桜井くんが口を開いた。


「雪村が言うには、戻れるのは『雪が意識を失った時』だ。でもさ、それだけなら雪が女になった直後は、しょっちゅう意識を失っていたよ。あの時は戻らなかったよな?」

「うん。たぶん」


 あの頃の記憶は、正直言ってあまり無い。それほど頻繁に気を失っていたから、『気を失えば雪村が戻る』と言われても違う気がする。

 でも、それがひとつの条件なのは間違いない。


「もう一度、気を失って(ため)して……って言っても、そんなに簡単に失神なんて出来ないよ。どうしたらいいんだろう」


 マンガだったら手刀(しゅとう)で首をとん、と打てば簡単に気絶するけれど、実際にやろうとするとなかなかに難しい。


「いずれにしろ、意識が戻ったら女に戻るんだしさ。『元に戻る方法』としては半端(はんぱ)だよ。きっと『意識を失う』以外にもトリガーがある。まずは俺たちで、そっちを探ろうぜ」


 考えながら話す桜井くんに、私は内心ほっとしながら(うなず)いた。

 兼継殿にも話すべきか、迷っていたから。


 兼継殿がこれを知ったら、効率的な意識の失い方を見つけてしまうかも知れない。

『雪村に戻すトリガー』にも気付くかも知れない。

 雪村の事を考えるなら 早く教えた方がいい。


 でもそうなってしまったら、私はもうこの世界に居られない。


 もう少し 時間が欲しい。 

 まだ皆とお別れする心の準備が出来ていないし、この世界でやり残していることがたくさんある。


 あんなに『雪村』を戻したかったのに。

 今は 雪村を戻す方法が解るのが怖い。



 ***************                ***************


 翌日、私は沼田に戻る前に御殿(ごてん)を訪れた。

 一晩考えて、やっぱり兼継殿に話そうと心を決めて。


 兼継殿は『契る以外で男に戻す方法』を真剣に探してくれている。

 そのヒントが見つかったのに、自分の都合で(だま)っているのはやっぱりズルい。


「お仕事が終わったら少し時間をください」と伝えて(もら)おうと取次(とりつぎ)にお願いしたら、兼継殿はお休みだったので、私はそのまま直枝邸に向かった。




「兼継様は来客中です」


 お邸の侍女が申し訳なさそうに教えてくれる。……そうですよね。用事があるからお休みなんですよね。

 出直そうと(きびす)を返しかけたら、奥から兼継殿がしゅっとした立ち姿のお坊さんと、連れ立ってやってきた。


「雪村、来ていたのか」


 ちょっとだけ目を見開いた兼継殿に返事をする前に、「きみが、(くだん)の子だね」と、私の前で少し(かが)んだお坊さんが、目線を合わせてふわりと微笑(ほほえ)んだ。

 何の事か解らなくて、兼継殿とお坊さんを交互に見ていると、お坊さんはゆったりと兼継殿を振り返った。


「兼継。少しこの子と話がしたい。時間をもらえる?」



 ***************                ***************


 迦哉虎徹(かさいこてつ)、と名乗ったそのお坊さんは、しゅっとした姿勢でふわふわした雰囲気の、少し不思議な人だった。

 兼継殿とは、同じ寺子屋で勉強をしていた幼馴染だという。


「君は、不思議な霊気をしているね」


 それってどういう意味だろう。

 ふんわり優しく話しかけてくるお坊さんを、私は少し警戒(けいかい)して見返した。

 その空気を察したのか、やんわりと微笑む。


「警戒しないで? そのままの意味ですよ。君はこの世界の者ではないでしょう?」


 あまりに穏やかで、私はあっさり正体が見破(みやぶ)られた事にしばらく気付かなかった。

 何て言っていいか解らなくて黙っていると、お坊さんがそっと目を()らす。


「私は兼継が、とても小さかった頃から知っています。書籍(ほん)を読むのが好きな子でね、学問で身を立てたいと言っていました。でもそれは(かな)わなかった。君が上森家に仕官(しかん)したいと言った時、兼継もそれを望みましたが それも叶わなかった」


 兼継殿のことを、本当に思いやっている人なんだろう。

 (いつく)しみに(あふ)れた静かな声が、()み入るように()けていく。


「今の兼継は、君を引き()めておく手段を懸命(けんめい)に探しています。しかし君には、君の事情があるのでしょう」 

「……はい」

「私は君の事情には()み込めない。けれど兼継が、悲しむ姿も見たくない。だから」


 ()せられていた目がゆったりと こちらに向き直る。


「少しでも兼継を(おも)うのであれば、優しい(うそ)をついてあげて。最後の瞬間(とき)まで 居なくなる事は 伏せてあげて」

「やさしい嘘……?」

「はい。例え限られた時間であっても、何の(うれ)いもなく『幸せだった』と思える時間を作ってあげてほしいのです」


 初めて会った人なのに、何も話していないのに。

 この人は私が異世界から来たことに気付いている。

 

 そしていずれ、帰ることも。


 それでも、すべてを見透(みすか)かしているこのお坊さんを、私は怖いと思わなかった。

 きっとこの人も、兼継殿に優しい嘘をつく人なんだろう。

 そして私が伝えようとしている事は、兼継殿の負担(ふたん)になると教えてくれている。


 ……この事、兼継殿には(だま)っていよう。



「ご助言、()(がと)うございました」


 私は深々と お坊さんに頭を下げた。





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