221.分水嶺1 ~side S~
「桜井くん、急に夏桜が見たいなんてどうしたの?」
ほむらの背に乗った俺に、雪が不思議そうに聞いてくる。
そりゃそうだよな。越後にいようが沼田にいようが、邸で食っちゃ寝してばかりの桜姫が、遠出したいって言い出したんだから。
自分はほむらの横に並んで歩きながら、雪は周囲を見渡した。
「夏桜は散り際が一番綺麗なんだけど、今の時期はまだ少し早いみたいだね」
「いやあ、実は桜が見たいって訳じゃなくてさ」
立ち止まった雪に倣い、俺も炎虎の背から降りて、一緒に周囲を見渡す。
散る時は透明に近い花びらが光のように舞う夏桜だが、今はまだ真っ白な花が木々を覆っている。
しかし俺が求めるものは、その根元だ。
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「桜姫ぇ、越後には『幸福寿草』があるって、本当ですかぁ?」
根津子にこっそり聞かれたのは、俺が沼田に滞在中のある日のこと。
「幸福寿草? 聞いた事がないわ?」
「ええとぉ、夏桜のそばに咲く福寿草で、それを見つけたら幸せになれるんですって。夏桜って越後の山中にあるんですよねぇ?」
「そうね……」
俺はあやふやな顔で返事をした。
この世界には、この世界オリジナルの花がある。夏桜は夏に越後の山中で咲く桜だが、幸福寿草なんてのもあるのか。
「どうしたの? 根津子、幸福寿草が欲しいの?」
「いいえぇ。あたしじゃないんです。それにこれは『見つけた人に幸せが訪れる』ってお花ですから」
照れ笑いをしながら、根津子が首を横に振る。
「あたし、雪村さまに見つけて欲しいんです。でもお教えしても、きっとご自分の為だったら面倒くさがって行かないでしょ? でも桜姫が行きたいっておっしゃったら、お連れすると思うんです。あたし、もしも雪村さまが男子に戻るなら、桜姫とお幸せになって欲しいです。だから桜姫と見つけて貰いたいなぁって」
「まあ。根津子は優しいのね」
自分の為じゃなく、主の為にってところがいじらしいじゃないか。
でもごめん。俺たち、雪村ルートは避けるつもり満々なんだ……そもそも雪村が女のままだから、恋愛イベントが進んでないし……。
笑って誤魔化す俺に、根津子がふるふると首を横に振る。
「お優しいのは雪村さまですよぉ? あたし、雪村さまが目をかけて下さったお陰で苛められなくなりました。とてもとても感謝しているんです」
だからお幸せになって欲しいです。
そう言って微笑まれると、俺も行くの面倒くさいです、なんてとても言えない。
正直『夏桜』と言えば、兼継との苦い思い出が甦る忌まわしい花だが、そこは忘れて根津子と雪村の為にひと肌脱ぐか。
「わかったわ。まかせてちょうだい」
俺はどんと胸を叩いて請け負った。
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そんな訳で、越後に戻ったタイミングで出掛ける事にしたんだが。
「根津子が言うには、夏桜のそばに『幸福寿草』って花が咲くんだと。それを見つけたら幸せになれるんだってさ」
「そっか。根津子、何か困っている事でもあるのかな」
「あはは、違うよ。雪に幸せがくるように見つけてこいってさ。いい部下を持てて 良かったな」
ちょっと驚いた顔をした後で、雪が照れ笑いをして頬を掻いた。
「でへへ。来たばっかりの頃は、とんでもない世界に転生したなと思っていたけど、慣れてくるとこっちの世界で生きていくのもいいかなって気がしているよ」
「でへへって何よ」
苦笑しながら雪の背をぽんと叩く。
これは根津子の為にも雪の為にも、何が何でも見つけなきゃならないな。
夏桜の根元を中心に探したけれど、それらしき花は見つからなかった。
そういえば福寿草は春先の花だったと記憶しているが、幸福寿草とやらはこの季節でも咲いているんだろうか。
「見つからないね」
「そうだな……あっ!」
周囲を見渡していた俺は、斜面に生えた真っ白な桜の間に、場違いな黄色が見えた気がして目を凝らした。
身を乗り出してよくよく見ると、幹のそばに花が見える。
……もしかして、アレじゃね?
「なあ、雪。あそこに」
指を差しながら振り向いた途端、視界がぐらりと傾いた。
足元の崖淵が崩れた、と気付いたのは身体が空中に投げ出されてからだ。
驚いた顔で手を伸ばす雪の顔が、一瞬でフレームアウトする。
「桜井くん!!」
「ひええええ!!」
土塊と一緒に落っこちながら、俺は情けない悲鳴を上げた。
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必死で袖を振っても、ちょうちょのように羽ばたく気配は微塵もない。あっという間に俺の身体は崖下の夏桜の樹に突っ込んだ。
ばさばさと桜の枝がぶち当たり、真っ白な花びらが周囲で散る。
落下スピードは鈍ったが、桜の枝は俺を受け止めてくれる迄には至らない。
やべえ死ぬ
と思った瞬間、俺の腕が掴まれた。
王子様かよ! と惚れたくなるタイミングで俺を抱き寄せてきたのは雪だった。
しかしアレだよ王子様。
「ゆ、雪! お前まで落ちてどうすんだ!!」
「ほむら!!」
雪が叫んだ瞬間、召喚された炎虎が俺たちの下に走り込み、俺と雪は どすんとほむらの背に乗っかった。
た、助かった!
「雪、ありが……」
ほっとして雪を見上げた次の瞬間。
雪の頭にがん、と石が直撃し、仰け反った雪がほむらから落下した。
慌てて雪の腕を掴んだが、桜姫の非力な腕では支えきれない。
気絶して崖を滑り落ちる雪を追って、ほむらが駆け出した。そして雪を掴んでいた俺も一緒にほむらから放り出されて、おむすびのように崖を転げ落ちいく――。
「ゆ……っ!」




