206.「恋を問う」と桜姫の思惑 ~side S~
「桜井くん。これ、兼継殿に返しておいてくれる?」
そう言って本を差し出す雪を、俺はうへえ、って気分を隠さずに見返した。
「は? 何で俺が??」
「だって兼継ルートに進むんでしょ? ここから先は、他の女は二人きりで会っちゃダメなターンだよ」
「……ええっ……!?」
俺は心底驚いた。
いや、『友人の彼氏と二人きりで会わない』って雪の言い分は解る。
しかしこれは、雪本人を安心させる為の芝居だし、そもそもそんな事をされたら、俺は間違いなく兼継に縊り殺される。
そしてあいつの「桜姫は天に還られたようだ」ってナレーションをバックに、ここでの俺の生活は~Fin~だろうよ。
しかし困惑する俺とは裏腹に、雪は自信満々のドヤ顔で踏ん反り返っている。
「主人公の恋路を邪魔する女なんて、最終的には破滅ルートでざまぁの対象です。 そういうモノですよ?」
「破滅ルートでざまぁ…… そういうモノ……」
どうやら自分がとっくに『その立場』になっている、って認識はなさそうだ。
あれ? 兼継と雪が両想いなのに『恋愛ルートに入ったよ詐欺』をしている桜姫の方が、破滅ルートでざまぁの対象になるのか??
う、うん。とりあえずそれは置いといて。
『女の雪村なら「別の未来」が開けるんじゃないか』って件について、雪がどう思うか聞いてみたい。
先日は『雪村ルートは「死亡エンド」しか無い』って事に動揺して、兼継ルートに進む事に同意したが。
『女の雪村』で死亡回避できるなら。ついでに雪が兼継ルートに進んでくれるなら、こんなウソ芝居なんてしなくていいだろ?
乙女ゲームらしい、恋愛成就で万々歳エンドじゃないか。
「あのさ、雪」
「なに?」
「ゲームでそーいう展開は無かったからわかんないけどさ。雪村が女のままだったら、大阪夏の陣で死なないんじゃない? だって戦に出ようが無いだろ?」
「うん。それは考えた事があるけど、いずれ私は男に戻るよ。そうじゃないとたぶん『雪村』も戻ってこないから」
方法が無いならともかく、『契れば戻る』って事は確定しているからな。
『他の方法を探す』って言っている兼継待ちなだけで。
「でもさ、『雪村』に戻ったらどうせ死ぬんだ。このまま女として人生を全うするってのもありじゃない?」
「ありじゃないよ。私、雪村の人生を乗っ取るなんて出来ない」
きりりと言い切った後で、雪はちょっと情けない顔になって 言葉を続ける。
「雪村がこの身体に戻ってくれれば一番いいんだけど、たぶん無理だと思うんだよね。あのね、この身体になった夜に「本当に女になったのかな」と思って胸を揉んだら、中で雪村が絶叫したの。……あの人、桜井くんと違って、女になれたからって えっちな事をしたいタイプじゃないよ? お風呂も着替えもいちいち大騒ぎだよ」
さらりとディスられた気もするが、そりゃあ雪が大変だ。
だがやはりそこら辺については、雪も考えていたらしい。
「でも関ケ原まであと約二年、大阪夏の陣はそれから三年後。五年くらいこの身体でやり過ごせば、雪村死亡回避の可能性もありかな、とは考えた事があるよ」
「そうそう! それだよ!!」
俺は靄が晴れた気分で同意したが、雪の表情は晴れない。
微苦笑したまま雪は続けた。
「桜井くんは『歴史の修正力』って言葉、聞いたことある?」
「歴史の修正力?」
「うん。『歴史を変えようとすると、それを”元に戻そうとする力”が働いて、結局、歴史は変えられない』って説。それだと『雪村が死ぬ』のは ここではほぼ確定でしょ? 私が女のままでやり過ごそうと思っていても、おそらく大阪夏の陣前に『雪村を男に戻す』力が働くよ」
「え……」
「本当にそうなるかは判らないけどね。だからこそ、桜井くんには『兼継ルート』に進んで欲しい。『歴史の修正力』が作動しない可能性、っていうか……『雪村死亡』が確定してないのは ここだけだから」
俺は何も言えなくなった。
そんな事象があるの?
じゃあ兼継は、雪村死亡回避の為に好きでもない女と添い遂げて、雪はずっとそばでそれを見てなきゃならないのか。
……なんだよ、この誰も幸せになれない展開。
そしてすべてが終わった後で『雪村に戻る』つもりなら、桜姫が天に還った後も、雪は兼継と添い遂げるつもりがない。
それにだ。
いま気付いたが『関ヶ原で西軍が敗けた直後、愛染明王の神力を使って桜姫を天に還す』って結末の『兼継ルート』だけは、俺は関ヶ原以降、この世界に残れない。
雪を残したまま、こっちの世界に来られなくなる。
何か方法がないかな。
『雪村の死亡が確定』してなくて、なおかつ俺が『この世界に残る』方法。
だってこんな世界に友達残して帰るの、心配だよ。
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翌日、雪は陽が落ちて暗くなってから戻って来た。
そして開口一番「影勝様の鯉の件、兼継殿にお願いしたよ! 明日の政務中に話してくれるって言っていたから、影勝様が奥御殿に戻ってきた時に謝るよ」と嬉しそうに報告してくる。
「そうか、良かったな」
遅かったのねひどいわ雪村、今日はわたくしの荷造りを手伝ってくれるのではなかったの?? と文句をつけようと思っていたのだが、ぐいと言葉を呑み込んで、俺はてへっとカワイイ笑顔を作った。
「そういや、そんな事を言ってたよな。ごめん、忘れてて」
兼継なら上手く取り成すだろうし、そもそも不幸な事故でしかない案件だ。影勝が怒るわけがない。
でも雪は随分と謝るタイミングを気にしていたよな。鯉を茹でたの、何時だよ? と思っていたら、雪がきょとんとした顔で俺を見た。
「あれ? 桜井くんが兼継殿に話してくれたんじゃないの? あっちから鯉の話題を振ってきたから、てっきりそうかと」
「俺じゃないよ。何だ、今日は兼継のところに行ってたのか」
「うん。じゃあ泉水殿が話してくれたのかな? 今日は借りていた本を返しに行ったんだけど、本の感想を聞かれて大変だったよ。桜井くん、よくあの兼継殿の兵法の問答をクリアできたねえ!?」
「いや、まあ。ははは……」
兵法問答なんてしてないからな。
要するにアレだ。俺は、兼継恋愛イベント其の二『恋を問う』を起こしていない。
これは『兼継の気を引きたい桜姫が兵法を勉強して、兼継と問答をする』って恋愛イベントだ。
兼継の問いに全問正解すると「兼継殿は「恋」についてどう思いますか?」という選択肢が派生し、それを選ぶと好感度が爆上がりする。
恋愛に興味ありませんって顔をして「恋についてどう思う?」って聞かれただけで好感度爆上がりなんて、突っ込みどころ満載だよ。
そんな事を思い出してにやにやしていたら、ふと とんでもない事に気が付いた。
「ちょっと待って? 今、兼継のとこで兵法の問答をして「こいの話を振られた」って言った?」
「うん」
「ええと、それって……」
鯉じゃなくて 恋 では
そしてそれ、兼継の恋愛イベントじゃない? 何で雪村で発生してるんだ……?
それもあいつ、自分から雪に「恋についてどう思うか」聞いておいて、 一番大事なとこをスルーされたぞ!
後で笑ってやろう。




