203.兼継恋愛イベント「恋を問う」勃発2 ~side K~
「何をする心算かは知らないけれど。そのような事を探っている事自体に感心しないね」
穏やかな表情の僧が、ゆったりと窘めた。
年若く、豪奢な袈裟を纏っている訳でもないのに、冴え冴えとした気品がある。
足利学校で学を収め、あらゆる兵法、卜占、暦学に精通したその僧は、かつて兼継と寺子屋で机を並べていた。
影勝の小姓に抜擢されたが故に、足利学校への進学を諦めた兼継とは逆に、望んでいたにもかかわらず、抜擢されなかった事で進学が叶ったその僧は、現在『越後執政の頭脳』とも呼ばれて上森家中枢に関わっている。
「何とでも言って下さい。ご存じないですか? 虎徹殿」
迦哉虎徹と呼ばれるその僧は、僅かに首を傾げた後で、溜め息をつくように言葉を続けた。
「魂を、別の器に移す。方法が無いではありませんが、外法の類です。おいそれと 手を出して良いものではありませんよ」
「しかし、それしか方法が無いのであれば」
「ひとが死ぬには 理由があります。戦で死んだ者には 死んだなりの傷が。病で死んだ者には原因となった病が。死んだからとて、それが無くなる訳ではありません。そのような器に移せば、その魂は死ぬほどの辛苦を味わうことになるでしょう。君はその魂に、辛い苦しみを与えたい?」
「それは……」
俯いたまま黙り込んだ兼継のそばにそっと寄り、励ますように肩に手を置く。
「他に方法が無いか 探します。しかし、その魂の幸を最上とするならば、手放すことも愛ですよ」
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この国最高峰の学問を収めた僧でも解らないのなら、方法など無いのだろう。暗澹たる気分で兼継は帰路を辿った。
そもそも雪は、『雪村』を戻したがってはいるが、女性として生を全うしたいとは思っていない。
これは兼継自身の望みだ。
魂の抜けた身体に 別の魂を入れる術。
目を背けたくなるような醜い傷痕があろうが、起き上がれぬほどの病であろうが、生涯寄り添う覚悟はある。しかしそれが『雪の幸い』に繋がるのかと、改めて問われれば、到底その様には思えない。
こんな事ならあの夜に、すべて終わらせてしまえば良かった。
兼継はぎりりと眉間に皺を寄せた。
「女の『雪』なら、死ぬ運命とは別の未来が開ける可能性がある」
桜姫に唆されて、ひと芝居打つことに同意した兼継だったが。
『兼継が桜姫と共に歩む未来を選択した』と雪に誤解させても、雪がそれを気にしていなさそうな事に、兼継自身が結構な打撃を受けていた。
己の命が掛かっているとなれば、当然そうなるだろう。
当たり前だ。そうに違いない……
……そうでなければ、あまりにも私とあの娘では、想いの深さに温度差がありすぎではないか。盆暗娘なのを加味しても酷過ぎる。
眉間に刻み過ぎた皺をほぐし、兼継は吐息をついた。
あの娘は、見染められても気付かないほどの盆暗だ。
挙句、娘の身体になってさほど時が経っていないというのに、あれよあれよという間に信倖の乳兄弟の心を捕らえ、あれだけ釘を刺したというのに、とうとう館まで誑かしてしまった。
鈍いくせに機動力があり過ぎではないか?
もしも今、『男に戻るには 契るしか方法が無い』と知らされたら、あの娘はどう出るだろう。
桜姫との件を誤解している今の雪なら、おそらく兼継に『その役目』を託すまい。であれば、また余計な機動力を発揮して、館か、もしくは信倖の乳兄弟の手を借りて『雪村』に戻りかねない。
冗談ではない。今はその件を明かす時期ではない。
だが今後、いつ明かせる時期が来る?
一年後か、二年後か。
男慣れしていないあの娘を怖がらせないように 少しずつ距離を詰めていたというのに、ここにきて桜姫の策に嵌ってしまった。
このまま手を拱いていては、手遅れになる。
「兼継殿!」
考えすぎて空耳まで聞こえたか と顔を上げると、正真正銘、 声の主が、道の向こうから駆けてくる。
そして兼継を見ると ふと表情を曇らせ、そっと手を伸ばしてきた。
風が冷たいせいか、心配そうに見上げてくる顔は 頬が透けるように白い。
その指先も 同じ色だ。
「冷たいな。邸内で待てば良いだろう」
ひんやりとした手を繋ぐように捕らえて、兼継は苦笑した。
何故、このような時に来るかな。まるで天に試されているかのようだ。
そんな兼継の思惑など知らないであろう雪が、少し躊躇いがちに微笑む。
「いえ、こうしていた方が 早く兼継殿を見つけられますし」
握られた手に気付いたのか、急にそわそわとし出し、そっと手を引っ込めかける。
兼継は強く握り直して それを引き留めた。
この娘は、都合が悪くなるとすぐ逃げる。
ここで捕らえることが出来たのは――僥倖だ。
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桜姫の小芝居に付き合う事にしたのは、そうすることで『雪村が死ぬ』運命を回避出来る可能性に掛けての事だ。
だが兼継にしてみれば、雪が他の男と添い遂げるのも、死ぬ運命を辿るのも、何ら違いは無い。
どちらも共に『失う』ことを意味するのだから。
ならばこれ以上、くだらない芝居に付き合う事もあるまい。
元に戻る方法。それが『契る』以外に無いのであれば そうするだけだ。
他の男に 奪われる前に。
門口脇の小部屋で小袖を着替えながら、兼継はふと外に目を向けた。春になり、日が長くなったとはいえ、空はもう昏くなっている。
そういえば雪村を手放したのも、再会したのも春だったな。
うっかり黄昏た兼継に、侍女が洗い立ての小袖を着せかけながらくすりと笑う。
「そういえば兼継様。雪村が 『兼継様のお部屋でお待ちしています』との事でしたわ。大人になってから、随分と書籍を読む子になりましたわね」
雪には客間で待てと言ってあったのだが。またあの娘は、男の部屋に不用心に……いや、今はその方が都合が良いか。客間より自室の方が、落ち着いて話せる。
幼馴染みの僧は「他に方法が無いか探す」とは言ってくれたが、こちらの気持ちを慮っての気遣いだろう、とは 兼継自身も解っている。
他に方法が無いのであれば、雪にそう話すしか無い。
もし本人に全くその気が無いのなら、無理強いはしたくない。
だが、雪が幾許かでも自分に恋心を抱いている、そう答えてくれたなら。
その言葉を生涯の宝として 雪を男に戻そう。
恋心など抱いていないと答えられた場合は…… そうだな。言葉を尽くして、納得させた上で男に戻そう。
実質 一択
……自身でも突っ込みながら、兼継は小さく咳払いをして侍女に微笑みかけた。
「そうだな。最近のあれは、私の書籍にしか用が無いようだ」
まあ と笑う古参の侍女に、兼継は何気なさを装って声を掛けた。
緊張を悟らせないよう 意識しながら。
「しばらく 人払いを頼む」
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部屋に戻ると案の定、雪村は書籍を漁っていた。
流石に『どのように話を持って行くべきか』と気もそぞろだった兼継は書籍どころではない。
「気になるなら持って行け。返すのはいつでもかまわないから」
上の空で言ってから、雪村が手にしている書籍が『六韜』だと気が付いた。
そういえば先日から読んでいたな。孫子とは趣を異にする書籍だが、雪村はどう感じただろう。
「六韜は読んだか。お前はどのように感じた?」
うっかりそちらの興味が勝り、兼継は雪の側に座って問うてみた。
少し考えた雪が「そうですね……太公望って封神演義の登場人物という印象があったのですが、実際に居たのですね」と、和む答えを返してくる。
「姜子牙の事か」
太公望について簡単に説明すると、吃驚した顔をした後で 熱心に耳を傾け、自分は不勉強だと困ったように笑う。
過剰に己を卑下する事も無ければ、他人に媚びて、持ち上げてくる事も無い。
真面目な性格かと思いきや、時折、抜けた事をする。
春のように穏やかで それが心地いい。
これを失いたくないな。
どのように話を持って行くか、と緊張していたはずの兼継は、いつの間にかそれを忘れて 会話を楽しんでいた。
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「『三十六計逃げるに如かず』という文言が好きです」
当初の目的を忘れていた兼継が我に返ったのは、雪村がそう言い出した時だった。
しまった、私としたことが! これがまた逃げ出す前に 仕掛けなければ。
体勢を立て直し、兼継は小さく咳払いをして 雪に向き直った。
――私はお前に恋をしている。お前は私を、想ってくれる気持ちはあるか?
いきなり話題が変わるが、事が事だ。
桜姫の件もある。余計な事を考えさせては、本心を偽る可能性がある。
あまり時間を与えぬ方が良い。
「問答ついでだ。お前に聞いてみたい事がある」
「何でしょう?」
「お前は恋について、どう思う」
次回は202話と203話の続きを同時にUPします。
どちらも結末は変わりません。
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