202.兼継恋愛イベント「恋を問う」勃発1
桜姫をお迎えに行く日が近づいてきて、荷造りをしていた私は、棚に置いてあった一冊の本を手に取った。
兼継殿から借りていた書籍だ。
幸い、よだれを落としていなかった六韜の文韜は、兄上によると『戦を始める準備や政治問題』の記述がメインで 戦術が書かれた巻じゃないらしい。
「借りるなら『虎韜』がいいよ」
と、兄上は言っていたけれど、桜井くんは兼継殿を上手く攻略できたみたいだし 兵法の勉強はもういいかな。
とりあえず これは返そう。
ああそうだ。鯉の件もどうしよう? 越後に居る間に桜井くん、影勝様にちゃんと伝えてくれたかなぁ。
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「桜井くん。これ、兼継殿に返しておいてくれる?」
借りていた本を差し出すと、桜井くんはとても怪訝そうな顔をした。
「は? 何で俺が??」
「だって兼継ルートに進むんでしょ? ここから先は、他の女は二人きりで会っちゃダメなターンだよ」
「……ええっ……!?」
桜井くんが心底びっくりしている。あれ? 男の人だから解らないのかな?
「主人公の恋路を邪魔する女なんて、破滅ルートでざまぁの対象です。そういうモノですよ?」
ドヤ顔で説明したけど『カオス戦国』には、そういう立ち位置の女性キャラは登場してなかったな。まあいいや。
しかし、そんなに的外れな事は言ってないはずなんだけど。
「破滅ルートでざまぁ…… そういうモノ……」
おうむ返しに呟く桜井くんの視線が、何だか生暖かい。
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桜井くんには「雪は『雪村』なんだから、そんなの気にしなくていいよ」と笑われて、ついでに「借りた本は、ちゃんと礼を言って返そうぜ」と諭された。
そりゃそうだ。
そういえば桜井くん、どうやって『恋を問う』の兵法問答をクリアしたんだろう。『六韜』も『呉子』も中途半端にしか読めなかったから、あまり教えていないのに。
そんな事をぼんやりと考えながら、現在の私は兼継殿のお邸の前で 所用で外出中だという兼継殿の帰りを待っているところだ。
私は明日帰る予定なので、返すチャンスは今日しか無いから。
冷たい風がごうと巻き、私は思わず首をすくめた。
春なのに風が冷たい。
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どのくらい待ったか分らないけど、陽が傾いて空が薄暮になりかかる頃。
やっと道の向こうに兼継殿の姿が見えた。
いつもきびきびしているのに足取りが重く、何だか疲れているように見える。
「兼継殿!」
駆け寄って見上げると、少し顔色も悪いみたいだ。
寒くて風邪でもひいたのかな? と熱を計ろうと手を伸ばしたら、額に届く前に手を捕らわれた。
そして掴んだあとで、びっくりした顔になる。
「冷たいな。邸内で待てば良いだろう」
「いえ、こうしていた方が 早く兼継殿を見つけられますし」
明日帰るから、あまり時間がないんです。姫の荷造りの手伝いもまだですし。
……とまでは言わなかったけど、そわそわした雰囲気は察したみたいだ。
ちょっと笑って、兼継殿が歩き出す。
「そうか。待たせてすまなかった」
ここで書籍を返して帰ろうと思っていたのに。
兼継殿が 手を離してくれない。
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身体が冷えているから、と 温かい桜茶をいただき、兼継殿が席を外している隙にちょっとだけ書籍を漁ってみた。
六韜の『虎韜』を見てみたい。これって現世でいう『虎の巻』の語源なんだって。
「気になるなら持って行け。返すのはいつでもかまわないから」
戻ってきた兼継殿が、再度の貸し出しを申し出てくれたけれど、手元の書籍を見てふと気が付いた顔になる。
「六韜は読んだか。お前はどのように感じた?」
「そうですね……太公望って封神演義の登場人物という印象があったのですが、実際に居たのですね」
六韜の著者って『太公望』なんだよ。太公望って『釣り好きの仙人』の事じゃなかった? えっ? 実在している人間だったの?? って感じだよ。
釣りをしてる場面は、六韜の『文韜』にもあったけれど。
「姜子牙の事か。私は封神演義のような 幻想性の強い作品はあまり読まないのだが、お前は読んだことがあるのか?」
兼継殿が、ふと笑って返してくる。
いいえ、封神演義なんて 六韜以上に読んだ事はありません。
おそらくマンガ化されていたものの印象だと思うけど、それを説明する訳にはいかなくて、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「太公望は呂尚、封神演義では姜子牙とも呼ばれる、周の文王・武王に仕えた軍師だ。太公望が文王に仕えた経緯は史記にも記されている。史記は大陸の正史のひとつだ。崑崙の道士であったかはともかく、実在はしただろう」
私が解ってないなと察したらしい兼継殿が、丁寧に解説してくれる。なるほど。
でも孫子なら、孫子ならまだイケるんですけど……っ!
「だがお前が好んで読むのは孫子だろう。信厳公は『風林火山』を旗印にしていたが、お前は何か好む文言があるのか?」
まずい。全然イケる話題じゃなかった。
ええと、要するに四字熟語とか諺になりそうな兵法ってこと? いや、そこまで読み込んでないっつーか……うう……
「孫子ではありませんが……」
「ほう?」
「兵法三十六計の『三十六計逃げるに如かず』という文言が好きです」
「兵法三十六計に、そのような文言は無い」
「!!?」
うそでしょ!? あんなに有名なのに!!?
兼継殿が、耐えきれなくなりましたって感じで笑いだす。
「そんなに驚くな。兵法三十六計にも走為上、「走ぐるを上と為す」というものはあるのだ。だがこれの出典は『南斉書』。「壇公の三十六策、走ぐるは是れ上計なり」になる。それを言いたいのだろう」
うわあ……ダメダメだよ私。というか、何で私まで兵法の出題をされているんだ。
そして桜井くん、よくこんな問答をクリアできたなあ!!
肩を震わせて笑っている兼継殿を眺めながら、打ちひしがれた気分でがっくりしていると、やっと笑いが治まった兼継殿がちょっとだけ姿勢を変える。
「問答ついでだ。お前に聞いてみたい事がある」
「何でしょう?」
がっくりしたままの私をちらりと見て、兼継殿がさり気なく聞いてきた。
「お前は鯉について、どう思う」




