201.正宗再来7
粘りに粘った挙句、やっと帰る素振りをみせた正宗に、六郎が畏まって包みを差し出した。
「これは上野で食されている焼き饅頭です。当家の御台所頭はすこぶる腕が良いので、主は十分に満足しております。どうか余計なお気遣いは無用に願います。容器の返却も必要ありません。そのままお納め下さい」
「ははは! 主が盆暗で苦労しておるようだな!」
私が正宗にぼんくらって言われたんだから、家臣として反論して欲しいところだけど、六郎が溜め息をついただけで聞き流してしまったので、私は代わりに御台所頭の料理を褒めることにした。
「うちの御台所頭の料理はとても美味しいんですよ。温かければもっと美味しかったのに」
「ばっ……!」
ぎょっとした顔の六郎がこっちを振り向き、なるほど、と頷いた正宗が予想外の事を言いだす。
「では今度は、御台所頭の料理を馳走になりに来よう」
「いえ正宗殿、それはお土産で味わ」
って下さい、と続けたかったのに、最後まで話を聞かず土産を奪い取ると、正宗は縁側に龍を呼び寄せて颯爽と去っていった。
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「あんたねぇ! 本当にいい加減にして下さいよ! 馬鹿なんですか!?」
無骨で大きな手が、怪我した私の指を酒で消毒している。激怒している割に手つきは丁寧だ。
舌鋒の鋭さでは兼継殿に劣るけど、迫力では全然負けてない六郎に叱り飛ばされ、私はしゅんと小さくなった。
「あんな事を言えば、また来るに決まってんでしょうが! 何の為に俺が『謙虚』って言葉をかなぐり捨てて、当家の料理を褒めたと思ってんですか!」
主の私を叱り飛ばしている六郎のどこに『謙虚さ』があるのか解らないけど、そこを指摘したら不味いって事は嫌でも解る。
解らないのは何故、御台所頭の料理を褒めただけで正宗の『次の約束』に繋がってしまったのかって点だ。
「お土産を渡したからって、ああ来るとは思わなかったんだよ」
「たぶん最初はあんたが縁側で「料理は上手い人が作ったのを食べるのが一番」って言ったのを、「館殿の美味い料理がまた食いたい」と言ったと強引に解釈して、押しかけてくる気だったと思いますよ。遊びに来たくて来たくて仕方が無いんですから。本っ当にあんたは油断と隙の大安売りで」
「六郎、それどこで聞いてたの」
それって正宗と、塩にぎりとお味噌汁を食べていた時の話だよね?
「どこでもいいでしょ、そんなの。みんな気にして耳をそばだててましたよ」
ぷいとそっぽを向いて、六郎がぎゅっと包帯を巻きつけた。ちょっときつい。
手が緊張したのに気付いたのか、慌てて弛めてくれたけれど、こっちに向き直った顔は怒ったままだ。
「今度はちゃんと、こっちの返事を待ってから来るように言うから」
なるべく気楽そうに笑いながら、六郎を宥めておく。
家老代理として家内を差配しているから、遊び感覚での突発の来客が嫌なんだろうな。大名相手だと対応にも気を遣うしね。
「だいたい」
酒と布を仕舞いながら、六郎がじろりとこっちを睨む。
「あんた、館殿に指を吸われたことを直枝殿に言えるんですか? 油断していると、こういう弱みを握られる事もあるんですから、十分に気をつけて」
え? 怪我したからだよね?
そもそも 野菜の皮むきが下手な事が、何で兼継殿に対する弱みになるんだろう。それに。
「兼継殿にも、指を舐められた事ならあるよ?」
溶けた金平糖を食べた時に。それがどうかしたの?
ぎょっとした顔でまじまじと私を見返した六郎が、赤くなって青くなって、最終的に溜め息をついてがっくりと肩を落とした。
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翌朝。
「戦で必要になった時の為に、練習台になって頂きます」と言って、包帯を換えに邸に立ち寄った六郎が消毒の準備をしていると、邸の外が騒めいた。
遠くから「困りますう。こんなに朝早くからぁ」と根津子の声も聞こえてくる。
どたどたと縁側を踏み鳴らす音がして、私と六郎は顔を見合わせた。
何となく、来客が誰かの予想が一致している気がする。
「いらっしゃる前には事前に連絡を、と何度も申し上げた筈ですよ? 正宗殿」
「いくらなんでもこの時間は、無作法が過ぎませんか? 館殿」
ぱしんと障子を開けた途端に文句を言われ、正宗が目を白黒させた。
……けれど、ポジティブシンキングな正宗はそんな事で怯まない。
「ははは、怒るな怒るな! これを知ったら俺を崇め奉りたくなるぞ! 潤肌膏だ、傷によく効く」
「え? わざわざ朝いちで持ってきて下さったのですか?」
潤肌膏は紫根や当帰、胡麻油が入った塗り薬だ。中国の「外科正宗」って書籍に記述がある。
書籍に「正宗」って名前が入っているけど、これはただの偶然。そしてたぶん正宗は、出典までは知らない。
知っていたら万能薬扱いして、もっと自信満々でお勧めしてくる筈だ。
「お気遣い ありがとうございます」
こっちの怪我を気遣ってくれた訳だから、そこは素直に感謝して頂くことにする。しかしやっぱりこういう事をされると、これ以上、非常識な時間帯の来訪を責められなくなるな。
いや、それこそこっちが、何等かの気遣いを示さなきゃならない番のような……
しかし、そういう時に限って正宗は「用はそれだけだ」とあっさり踵を返した。
六郎が戸惑いがちに「館殿、せっかくですから朝餉でも」と消極的ながらも珍しく引き留めると、正宗の方もこれまた珍しく「俺が毎日遊んでいると思うなよ?」と、にやりと笑う。
「今日は所用があるから勘弁してやるが、近々また来る! 覚悟しておけ!!」
わはははと笑いながら、やっぱり正宗は龍に乗って、颯爽と帰って行った。
笑い声が青天に吸い込まれていく。
これから登庁なのに、もうひと仕事、終えた気分だ。
指を舐めた云々は、138話の金平糖攻防戦3あたりになります。




