20.大阪脱出2
「姫、春日山城が見えました。もう少しの辛抱です」
月明かりだけが頼りの夜道を疾走しながら、私はぐったりと凭れかかる姫に声を掛けた。道中には大量の怨霊が跋扈していたから、疲れたんだろう。
でも桜姫が頑張ってくれたおかげで、随分と早く、ここまで駆けてこられた。
すまないほむら、もう少しだ。
声に出さずに首元を軽く叩くと、ほむらは返事をするかのように低く唸った。
道すがら、桜姫が大阪城での顛末を ぽつりぽつりと話してくれた。
克頼様が姫の事を『神の子』だと。この嵐を鎮めると、皆の前で大見得を切ったこと。
剣神公の名を出してしまったので、上森も巻き込んだこと。
そして姫自身も『嵐を鎮める力』が自分に備わっていると知らなかったこと。
それなら私はもうひとつ、姫が知らない『桜姫の神力』を知っている。
桜姫は『嵐を起こす』ことも出来る。
雪村ルートの最後でしか見られないけど。
……うん、嵐を起こすところは見たくないな。
その時は、私の死亡フラグがたっているってことだしね。
*************** ***************
遠くに見えていた上森の城・春日山城がぐんぐん近づいてくる。
炎虎はスピードを落とさずに、城門へと至る石段を跳ぶように駆け抜けた。
城の城門は開いていて、中は明るく篝火が焚かれている。
白い早馬の傍で文を広げていた兼継殿が、真っ直ぐにこちらへと向かってきた。
「兼継殿!」
「雪村、無事だったか」
「はい、先ずは姫をよろしくお願いします」
私はぐったりとした姫を抱きかかえたまま、ほむらから降りた。
即座に周囲の家臣や侍女がわらわらと寄ってきて、手を貸してくれる。
しかし姫の手が小袖を掴んだまま離しそうにないので、私はその中で一番年配の侍女に声を掛けた。
「このまま私が運びます。部屋に案内を」
「御殿の奥向へ。部屋は櫻之間を使え」
兼継殿は侍女に指示を出した後で、抱きかかえられた桜姫を覗き込んだ。
微かに眉を顰めた気がして 私は少し心配になる。
「兼継殿、何か」
「姫を置いたら、雪村は御書院へ来てくれ。話がある」
どうしたのか尋ねる前にそう言い置いて、兼継殿は踵を返してしまった。
*************** ***************
戦国時代といっても、戦国時代後期の今は、戦に明け暮れているわけじゃない。
平時は普通に国を治める為の仕事をしていて、越後では、山城の春日山城は不便なので使わない。
その代わりに使っている建物が、すぐ麓にあるこの『御殿』だ。そしてその奥に『奥御殿』があって、こっちは大名の私邸になる。
今は影勝様の居住区だけど、以前は剣神公が住んでいて、人質だった頃の雪村もここに置かれていた。
だから『櫻之間』と言われただけで分かるらしく、案内も無しに雪村はさっさと姫を運んでいく。
大阪から越後までのこの数時間。
いつもは身体の奥に居る『雪村』が、私が戸惑っていると察した途端に『表』に出て、すべて対応してくれた。
雪村も『表』に出てこられるって事は、今の私はどういう状態なんだろう。
転生? それとも憑依なの??
*************** ***************
「あとは私どもにお任せ下さいませ」
私を追い出しにかかった年配の侍女に、私は必死で食い下がった。
だって知らない場所で一人にされたら、桜姫はきっとびっくりする。
「もう少し、せめて姫が目覚めるまでお側にいることは叶いませんか? 姫は人見知りしますので」
「雪村。貴方も元服を済ませた立派な男子なのですから、女子の部屋に居座るなどお控えなされませ。子供の頃とは違うのですよ?」
件の侍女が諭すように口を開くと、周りの侍女たちもくすくすと笑い出す。
――子供の頃を知っている人たちは、これだからやりづらいんだ――
再び身体の奥に引っ込んでいた雪村の、そんな思念が伝わってきて、私も何だか可笑しくなった。
*************** ***************
「富豊の方は美成が抑えたようだ。桜姫が上森の姫ならば、『臣下の姫』になる。今は娶るより、その立場に据え置いた方が良い、と」
呼ばれていた御書院(御殿にある部屋の名前。現世で言うなら、応接室みたいな感じ)の一室で、兼継殿が早馬で送られてきたらしき文に 視線を落としている。
この世界でも大名家は『政略結婚』が当たり前だ。
結婚=同盟を結ぶようなものだから、利害関係と家格が重視される。
秀好は成り上がりの女好きだったから、美人なら家格は問われなかったけれど、拠殿は生粋のお姫様だから そういうのには煩い。
上森の家格がお気に召さないとなると、桜姫を公家のどこかに養女に出して……となるけど、神力を現した姫に対して、不敬とも取られかねない。
それに『上森の姫を富豊家に輿入れさせる』となると、同じ五大老で筆頭代理の徳山が黙っていない。余計な諍いを引き寄せる事になる。と説得したらしい。
五大老筆頭の舞田歳家殿が、病で伏しがちの今、富豊も徳山を刺激したくはないみたい。
それでも拠殿は「徳山の顔色を窺がうなんて」と納得し難い様子だったから、「姫の守護を信厳公から遺言され、炎虎を下賜された真木も 富豊に臣従する」って事で納得させたそうだ。
「仕官の沙汰はまだ先になるだろう。信倖も暫くは信濃に戻れまい。雪村は姫共々、このまま越後に居ろ。徳山がどう出るか解らんからな」
「徳山、ですか?」
「ああ。徳山は「神子姫の守護を『武隈の一家臣』が担うのは分不相応」と執拗に言い募ったらしい」
手元の手紙から視線を上げて、兼継殿が不敵な笑い方をした。
言っている事が間違ってない分、質が悪いな。けれど徳山がそう言いだすって事は、克頼様は桜姫を徳山に売ることにしたんだろう。
ようするに「『桜姫の守護』を、今後は徳山に担わせて欲しい」と徳山が武隈に取り入った。
そして『徳山が桜姫に接触する』事を嫌った富豊が、現在姫を守護している真木を富豊に臣従させる事で防ぎにきた、って展開だ。
ごちゃごちゃしているけれど、『武隈の一家臣』が分不相応だと言うなら『富豊の家臣』にしちゃえばいいってこと。それなら徳山とも同列になる。
なるほどなー。こう言っては何だけど拠殿が、『真木の臣従』程度で、徳山の件を納得するなんておかしいと思ったよ。
いろいろな事が一気に起こって、頭がくらくらする。
とりあえず私は、もうひとつ気になっていた事を確認した。
「ここまで来る間に、早馬を何度も見かけました。あれは富豊の伝令ですか?」
「徳山だ。姫が信濃に匿われたか越後へ向かったかの捜索だろう。越後にも「関所通行之記録」の提出命令が、徳山の花押入りで来ている」
徳山殿が知りたいのは『関所を通った者』だからな。姫の所在とは聞いていない、そのまま出すさ。そう嘯いて、兼継殿は飄々としている。
私は途中で道を逸れたから、関所は殆ど通っていない。
いずれバレるにしろ、暫くは姫の居場所を隠せるだろう。
同じ五大老なのに、影勝様に命令しているとこが気に入らないんだろう。兼継殿の表情がやたらと辛辣だ。
どんだけ影勝様大好きなんだよ。影勝様が剣神公みたいに女の人だったら、兼継は絶対に攻略不可になっているよ……
若干遠い目になったのを勘違いしたのか、兼継殿が話を変えてきた。
「すまない、お前も疲れているだろう。今後は私の邸を使え」
おお、兼継殿の私邸ですってよ。
ゲーム中の桜姫でもお呼ばれしたことないよ。
本当は姫の側から離れるべきじゃないんだろうけど、そんな事を言ったらまた侍女衆に冷やかされる。
とりあえず明日早くにまた行こう。
さすがと疲れ始めていた私は、兼継殿が桜姫を覗き込んだ時に、何か気づいた事でもあったのかを聞きそびれてしまった。
*************** ***************
想像以上に立派だった兼継殿の私邸でおふとんにくるまって、目を閉じる。
ゲームとは違う予想外の展開にはなっているけれど、せっかくの越後逗留だし。この機会に桜姫には兼継とのイベントを進めて貰おう。
こんな事になったのも、愛染明王様の思し召しだよ。きっと。




