195.執政の逆襲2
邸の外が騒めいて、私と兄上は顔を見合わせた。
代行でお迎えに行った家臣が戻ったにしては早すぎる。
「お客でしょうか?」
「そうだね……そんな予定は無かったけどな」
不思議そうな顔をして、兄上が立ち上がる。
その途端、ばたばたと縁側を走る足音が聞こえてきて、私と兄上は再び顔を見合わせた。
急な報せなの?
ほどなく ぱしんと障子が開けられ、私はびっくりして目を見開いた。
「桜姫! 早いですね…「雪村逃げて!!」」
私の台詞に桜姫の声が重なる。
なにごと!? と思う間もなく、桜姫の背後から昏い影が現れた。
いや、藍鉄色の小袖と乱れた漆黒の髪のせいでそう見えたけど……
「か、兼継殿……どうしてここに……」
「病を得たと聞いた故、見舞だ。……元気そうで何よりだな。雪村」
口元は笑っているけど目は笑ってない。そろりと立ち上がり、私は退路を探った。
逃げられるルートは限られている。
縁側が押さえられているから、私の背後にある襖から逃げるしかないけれど、このルートはいちいち襖を開けるタイムロスが生じる。
捕捉されるのは時間の問題だ。
「雪村!」
そんな思いを察してくれたか、桜姫が兼継殿に飛びついた。不意を突かれた兼継殿がバランスを崩す。
その一瞬の隙を突いて、兼継殿のそばをすり抜け、私は縁側を駆け出した。
背後でごろんと人が転がる音がする。桜井くんごめんありがとう!
しかし縁側に出たって、邸の外周を回る一本道だ。出来るだけ引き離して 裏門に一番近い地点でコースを外れ、いったん外に逃げるしか無い。
いや、もうそのまま、沼田まで逃げ帰る!
ふと気が付くと、少し前まで背後から聞こえていた足音が聞こえない。
引き離せたかな? そもそもここは真木邸、私のホームグラウンドだ。
兼継殿に負ける要素などあろう筈が無い。
裏門が見えてきたので、私は庭に降りようとスピードを緩めた。
その途端。
いきなり横合いからぶっ飛んできた障子が目の前を掠め、私は思わず急ブレーキをかけた。
ひしゃげた障子が、庭にばたりと転げ落ちる。
おそるおそるそちらに視線を移すと、裏庭に面した部屋の障子が消えていた。
そしてその部屋から出てきた兼継殿が、私の前に立ちふさがる。
……いくらショートカットになるとはいえ、襖を開ける手間がある分、部屋を横切るルートはタイムロスになるはずなのに……障害物のせいでスピードに乗れない事を考えたら、外周を回る方が絶対に速いはずなのに……
絶望に打ちひしがれた気分で中を覗くと、ルート上の襖は全部蹴倒されていた。
なるほど。襖を蹴り倒しながらショートカットしたのか。そりゃ追い付かれるわ。だがちょっと待て。
「兼継殿。うちの邸に何をしてくれてるんですか」
「お前が逃げるからだ」
「逃げる者は必ず追わなければならない、という法令はありません」
「無ければ作る」
無茶苦茶だ。ようするに、兼継殿はむちゃくちゃ怒っている。
でも何で私が、こんなに怒られなきゃならないんだかが解らない。桜姫のお迎えをサボったならともかく、ちゃんと代打は出したんだから。
「兼継殿は随分とお怒りのようですが、私にはまったく心当たりがありません」
「病だと言うのに、随分と元気に走り回ったものだな。こう言われても心当たりは無いか?」
ぐぬぬ。
大立ち回りが過ぎて、私たちの周囲を家臣たちが遠巻きに取り囲み始めている。
それに気づいた兼継殿が「こちらに来い」と私の腕を掴んで、部屋の中に引っ張り込んだ。