19.大阪脱出1
暫く茫然としていたらしい。
邸に駆け込んできた 慌ただしい馬蹄の音で、私は我に返った。
「雪村様!」
兄上付で登城していた家臣のひとりが、青ざめた顔で跪く。
「城で何があった!?」
「信倖様より、急ぎ登城せよとのお達しです。お急ぎ下さい!」
「分かった。兄上が城より戻られたら、急ぎ出立する。真木の者は疾く支度せよ」
私が固まっている間に、中の『雪村』が“表”に現れて指示を出し、弾かれたように駆けだしていく。
駄目だ、まずい。この先の展開が解らない。
ゲームではこんな展開は無かったよ!
邸から走り出たところで、傍らで空気が揺らぎ ほむらが並走する。
その背に乗ると、炎を纏った白虎は、滑空するような速さで小路を駆け抜けた。
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大阪城は、想像していたよりも静かだった。
ただ、ぴんと張りつめた ただならない気配が、痛いほど伝わってくる。
ほむらを待たせて搦手門から中へと滑り込むと、青褪めた顔色の桜姫が、兄上に支えられて立っていた。
どういう訳か影勝様も一緒に居て、辺りに目を光らせている。
「雪村、少し不味い事になった。諸大名の前で、桜姫が嵐を鎮めてしまった。今は美成が抑えてくれているが、しばらく姫を隠す」
「雪村!」
兄上の言葉が終わらないうちに、桜姫が駆け寄ってきた。
戸惑いと恐怖が綯い交ぜになったような表情で、ぎゅっと抱きついてくる。
小さな身体を抱き返しながら、私は姫の背中をぽんぽんと叩いた。
「姫、大丈夫です。私が必ずお守りします」
「兼継に早馬を出した。越後へ行け」
鋭い目つきのまま言った後、影勝様は、着ていた羽織を投げ寄越してきた。
越後上森家の家紋が入った羽織だ。
「それがあれば、越後までの道中は咎められまい。……今ならまだ。急げ」
国境を通るにはそれなりの手続きが必要る。
上森の家紋があれば、越後までの道中はフリーパスになるって事だ。
……富豊に関所を封鎖されるまでは。
影勝様の表情が僅かに苦々しく見えるのは、たぶん克頼様が、独断でやらかしてしまったせいだろう。
桜姫の神力を説明するには、剣神公や上森家を巻き込む事になる。
影勝様には大変な迷惑をかけているな。
私は影勝様に頭を下げ、姫を抱き上げて踵を返した。
「雪村」
呼び止める声に振り向くと、兄上が神妙な顔で こちらを見ている。
「いつもお前に このような役回りをさせてしまう。すまない」
「姫をお守りするのは信厳公のご遺言です。それに私の意思でもありますよ」
兄上は、まだ何か言いたそうに口を開いたけれど、それは言葉にならずに消える。
私は兄上にも頭を下げ、今度こそ城の外へと駆けだした。
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「少し飛ばしますから、しっかり掴まっていて下さい」
その言葉が伝わったのか、疾走するほむらの速度が跳ね上がる。
城で何が起ったのかは分からないけど、青白い顔色のまま震えている桜姫に問う気にはなれない。
少しでも寒さが凌げるように、影勝様の羽織でしっかりと姫を包んで、私は周囲を見回した。
途中、いくつか越えた関所では見咎められることは無かった。
しかし空を見上げると、何体かの早馬が駆けていくのが見える。
この世界の『早馬』も、伝達事項を知らせるために使われるけれど、羽が生えた天馬で空を飛ぶから、伝達の速度がやたらと早い。
スピードだけなら ほむらも負けない。でも今は二人乗せているから、幾分遅い。
そろそろ不味いかも知れない。
「姫、道を逸れます。獣道になりますが、少し我慢して下さいね」
「……雪村、ごめんなさい」
小さな声が胸元で聞こえて、私は羽織ごと、姫を抱く手に力を込めた。
「克頼様が、何か無体をなさったのでしょう。姫は悪くありませんよ」
克頼がやらかすのは知っていたけど、それ以降が携帯版のゲーム展開とは違う。NEOでシナリオが変わったのかな?
あのゲーム、改訂版が出ても攻略対象が増えるだけで、ストーリーは変わらないと聞いていたのに。
そう思いながら、私は周囲の森の気配を探った。
まずは追手の心配だ。それに森には野盗も居たりするから、油断は出来ない。
とりあえず怪しい気配は無さそうなので、街道を逸れて山の中へと分け入る。
しばらく駆けたその先。薄暗く陰る森の奥で人影がゆらりと揺れた。
……何体も何体も。
野盗か? 咄嗟に刀を抜きかけたけれど、あれは違う。
戦が多いこの時代は『想いを残した霊が、成仏出来ずに地に縛られる』なんて、よくある事だ。
刀の柄に手だけ掛け、ほむらのスピードを一気に速めて、青白く揺らぐ自縛霊の間をすり抜ける。
痛い思いをして死んだ人を、これ以上斬りたくない。
土蜘蛛みたいな異形の『怨霊』は討伐できるけど、人の霊を相手にするのは苦手だな。
こんな事で、戦があるこっちの世界でやっていけるのかな。
ほんとにどうして私、『雪村』に転生したんだろう。難易度高いわ。
私は桜姫に気付かれないよう、そっと息を吐いた。
搦手門=裏門