187.殿様と金色の小猿 ~side S~
本日のは奥御殿には呉服商人が商売に来ていて、春物の小袖を仕立てるための反物が わんさか持ち込まれている。
女ってこういうの 好きだよな。そこはどの世界でも変わらないらしい。
「姫さまはお可愛らしいですから、やはり薄花桜の色がお似合いですわ」
「しかしそろそろ、大人の色気も必要でしょう。ここは紅躑躅も良いのでは」
どうせ作ったところで侍女衆と雪村くらいしか見ないのに、季節ごとに新品なんていらねーだろ、とは思うのだが 、城下で材料の青苧を作っている奴、頑張って綺麗な反物を織った奴のモチベーション向上の為にも必要なんだろう。
しかしそれはそれ、これはこれだ。
いつ終わるとも知れない着せ替え人形に飽きて、俺はそっと部屋を抜け出した。
咎められたら厠に行く振りでもすりゃいいか、などと思いながら歩いていると、陽当たりのいい縁側に影勝が……いや殿様、いやいや義兄上様がいらっしゃった。
何をしているのかは知らんが、黙って庭を眺めている。
「義兄上様は、春物の衣装合わせは終わりましたの?」
気さくに声を掛けると、ちょっと目を見開いた影勝が俺を見返してくる。
影勝はここの主で殿様だが、この奥御殿内では非常に影が薄い。ここで寝起きしている筈なのに、居るのか居ないのか判らないくらいだ。
まあ、侍女衆のキャラが濃すぎるだけかも知れんが。
「俺の小袖など、いつも同じような物だ。男物は面白く無いのだろう」
「わたくしは、着せ替え人形に飽きて逃げてきました」
影勝は判るか判らんかくらいに表情を緩めて苦笑いしている。
俺も苦笑いして、殿様の隣に座った。
*************** ***************
座ったはいいが、お互い特に話題がない。俺たちはぼんやりと庭を眺めていた。
前に雪が「影勝様は、沈黙が心地いいタイプなんだよ」と言って居たが。
なるほど、黙っているのが苦にならない。
苦にはならないが「ではそろそろ戻りますわ」と切り出すタイミングも掴み損ねている。……まあ、殿様と一緒なら侍女衆も怒んねーだろ。
季節は春。
しかし影勝の部屋は『秋』をモチーフにした庭に面しているので、桜ではなく紅葉が樹々を覆っている。
ひらりと散った紅葉が池に浮かび、水の下では同じ色をした鯉がすいと泳ぐ。
鯉……?
俺は雪村に託されていた伝言を、不意に思い出した。
沼田で初めて温泉が湧いたとき。
ほむらが沸騰させたその池には、雪村が甲斐に戻される際に、影勝から餞別で貰った鯉が放されていたという。
茹でられた鯉にちなんで「鎮鯉庵」「鯉の湯」と名付けられたその療養所には、昇り鯉をモチーフにした 立派な慰霊碑まで作られていた。
しかし雪は、鯉を茹でたことを殿様に言い損ねているらしく「謝罪する前に、それとなく影勝の耳に入れておいて欲しい」と頼まれていたんだった。
茹でた鯉をこんなに大々的に祀り上げるなんて、俺にはギャグにしか見えないが、 雪はいたって真剣だ。逆にギャグすぎて、殿様にどう伝えていいのか判らなくなり、つい放置してしまっていた。
いや、やっぱり言わなきゃな。頼まれたんだし。
「義兄上さ……」
呼びかけて ふと気が付くと、殿様が紅葉を凝視している。いや、正確には紅葉の隣に植えられた銀杏を、だ。
釣られて俺も銀杏に目をやると、黄色い扇みたいな葉に隠れるように、毛色の薄い小猿が見えた。
じっと見る殿様を 小猿もじっと見返している。
殿様が軽く手招きすると、小猿はひょいと枝を伝って、その膝に飛び乗って来た。
「ずいぶん義兄上様に懐いていますわね。前からのお知り合い?」
猿相手に「お知り合い?」もおかしいが、初対面とは思えないくらい懐いている。
それには答えず、殿様は無表情で小猿の頭を撫でた。
小猿を間近で見る機会なんてそうそう無いから、俺も興味津々で殿様の膝上を覗き込む。金色みたいな色合いの小猿は、大人しくてなかなか可愛い。
*************** ***************
「確か『上杉景勝が猿を飼っていた』ってエピソードがあるよ。無口無表情で 全然笑わない人だけど、その猿の猿真似をみて笑ったのが最初で最後、みたいな話だったと思う」
「なるほどな。道理で殿様に懐いたわけだよ」
後日、雪からそんな話を聞いた。龍だったり鯉だったり猿だったり。殿様は動物に好かれるタイプなのかね。
饅頭をもぐもぐ食べながら頷く俺に、雪がもじもじしながら遠慮がちに聞いてきた。
「ところで桜井くん。鯉のこと、影勝様に話してくれた……?」
やべえ。すっかり忘れてた。
……俺は饅頭に夢中な振りをして、その質問をやり過ごした。