162.正宗再来1
温泉の湯気がもうもうと立ちこめ、辺りを白く煙らせている。
着ていた綿入れが熱を吸収して、冬なのに暑い。
「立派なのが出来たね」
「そりゃ領民に開放するってんですからね。みな張り切るでしょう」
隣を見上げて褒めると、腕を組んだ森月も顔を綻ばせている。
領民に普請をお願いしていた温泉+療養施設が完成した。
当面使えるのは怪我人と病人だけで、春になったら上田から医者が赴任することになっている。城下で長く医者をやっているおじいちゃん医師の息子で、肥前で勉強をしていた人が来てくれるらしい。
肥前は、外国との交流が盛んで医療が発達しているから、『肥前帰りの医者』は持て囃される。
肥前=長崎だから「長崎で蘭学を勉強していた」と言われたら、何だかそれっぽいでしょ?
兄上、ハイスペックなお医者様をありがとう……!
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ご機嫌で邸に戻ったら、そんな気分をぶっとばす出来事が起きていた。
邸が騒然としていて、一緒に視察に行っていた小介が呆れ顔で呟く。
「まーた早馬でも乗り込んできたんすかね?」
「兄上の許可が出ちゃったからなぁ……」
溜め息を押し殺して天を仰ぐと、上空に黒い影が見えて、私は唖然としたまま目を凝らした。
空をゆったりと旋回しているのは独眼竜だ。な、なんでここに?
「遅いぞ! すぐに支度をしろ!」
聞き覚えのあるがなり声が聞こえてきて、私は空から地上に視線を落とす。
邸の前では、黒い外套をはためかせた正宗が仁王立ちで、こちらを睨んでいた。
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「とうとう早馬を省きましたよ、あいつ」
とうとう小介が、正宗を「あいつ」呼ばわりし始めた。
私は溜め息を押し殺して、怒れる正宗をきりりと見据えた。
「舘殿。いくら兄の許可を得たとはいえ、こちらにも都合という物があります」
「だったらお前はいつ「都合がいい」と言うつもりだ? 冬に都合がつかなくて、春以降に都合がつくものか!」
まあもっともですね。それを言われるとこっちも反論しづらくなるな。
「だとしても、暇で冬ごもりしている訳ではありませんよ。それに私の霊獣は火属性ですから、雪山を移動すると雪崩を起こす危険が……」
「そう言うと思ったから迎えにきたんだ。ありがたく思え!」
「ありがた迷惑ですよ」
即座に返した私の腕を掴み、正宗が上空を旋回する黒龍を呼び寄せる。
え? まさか今すぐなの? そして私はこれに乗るの?
「ちょ、ちょっとお待ちください。弱っている独眼竜にひとが乗って大丈夫なんですか!?」
「俺は乗って来たぞ?」
「ふたり乗って大丈夫なのかと聞いているんです!」
「お前が軽けりゃ大丈夫だ!」
ひとに責任を押し付けるなよ!
いきなり私を抱え上げて、ぽいと独眼竜の上に投げ込むと、正宗もひょいと飛び乗ってくる。
「雪村様!」
小介が手を伸ばして引き摺り下ろそうとしたれけど、もう少しの所で届かない。
龍が旋回しながら上昇し始めて、私は慌てて独眼竜の首根っこにしがみついた。
「雪村様!」
「雪村さまぁ!」
下から私の名を呼ぶ声が、乱反射したこだまみたいに聞こえてくる。
でももう、飛び降りて無事で済む高さじゃない。
うわあん みんなぁ!
喉まで声が出かかったけど、そうしたらきっと正宗に馬鹿にされる。
それが嫌で、私はぐっと言葉を呑み込んだ。