表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

161/383

161.逆鱗と強制バッドエンド ~side K~


――雪村は来るだろうか。

 兼継は落ち着かない気分で筆を止め、視線を宙に彷徨(さまよ)わせた。



 ***************                *************** 


 老女のもとに安芸からの文が届き、「雪村に、五年前の経緯について説明するように」と忠告されて数日。

 予想外に早く、雪村が越後に来てしまった。


「話しておきたい事がある(ゆえ)、越後に来た際には寄って欲しい」


 そのような文は、確かに出した。

 だが桜姫の迎えはふた月(ごと)だ。まだ間がある。それまでに伝えるべき内容を念入りに推敲(すいこう)しなければ。

 そのつもりで居たというのに、早すぎではないか。


 こちらが伝わって欲しいと願う事柄には全く理解を示さない(くせ)に、伝えたくない事を伝えなければならない時には、随分(ずいぶん)と食いつきが良いのだな。

 恨み言のひとつも言いたくなるが、そもそも呼んだのは自分だ。



+++


「雪村。お前に話しておかねばならぬ事がある。五年前、お前が甲斐に戻った経緯(いきさつ)だ」


 覚悟を決めて邸へと(いざな)うと、雪村は神妙(しんみょう)な面持ちで、それについては桜姫から聞いた、と頭を下げた。

 意外な事に、兼継を敵視しているあの姫は「泉水から聞いた」という内容を、そのまま雪村に伝えたらしい。


「……いや、お前が謝る事など何もない」


 第一関門を突破した気分で、兼継はほっと息をついた。ありのまま伝わったのなら誤解もされまい。

 そう思った矢先に、雪村は思ってもいなかった事を口にした。


「ずっと不思議だったのですが、これでやっと()に落ちました。前に兄上に、私が元の身体に戻らなかったら直枝家に迎える、とまで言って下さったそうですが、あれも今回の件に起因していたのですね。私が五年前の見た目に戻ってしまったから。首藤殿に見つかっては(こと)だと」

「……? 何を言っている?」

「でももう私は、兼継殿の庇護(ひご)が必要な子供ではありません。自分の身に降りかかる火の粉は自分で払います。どうぞ私の事はお(かま)いなく」


 勇ましい事を言って顔を上げた後、そっと目を()らした雪村を、兼継は呆気にとられて見返した。

 この娘は、いったい何を言い出すのだろう。


 五年前の経緯を伝える事に躊躇(ためら)いがあったのは、兼継が『元々雪村を好いていた』と誤解されたくなかったからだ。


 雪村の中の娘と雪村は『別人格』。


 それを認識した上で花押(かおう)を刻み、このような事になった責任を取ると、妻になって欲しいと伝えた。

 真木家当主の信倖に、直枝家に迎えたい と筋を通して申し込みもした。

 それなのにあの兄弟、(そろ)いも揃って それに応える素振(そぶ)りが全く無い。


『雪村は男だから』

 信倖に関しては、その認識(ゆえ)の事だと諦めていたが、雪村……というか中の娘にはいい加減、こちらの気持ちに気付いて欲しい。


 そう思っていたのに、五年前の衆道騒ぎを(おのれ)の口から釈明(しゃくめい)せねばならぬ事態に(おちい)り、(あまつさ)え、当の娘はその事を「首藤から庇う為」だと全力で誤解してきた。


 首藤から庇う為だけに、男に縁組の申し込みなどするものか。この唐変木(とうへんぼく)が!

 どこまで私を男色扱いすれば気が済むのだ!

 おまけに、()りによって「自分に構うな」とまで言い出した。


 ……だんだん 腹が立ってくる。

 何故こうもこちらの想いが伝わらない!? いい加減にしてくれ!!



「己の力を過信するな、と前に言った(はず)だが。忘れたか?」


 (おび)えさせまいと我慢(がまん)に我慢を重ねてきたが、それも限界だ。今回ばかりは怒りの方が勝った。

 腹が立ちすぎて手加減が出来ない。

 後退(あとずさ)る雪村の肩を(つか)んで塀に追い詰め、兼継はきっと(にら)みつけた。


 孫子の兵法(いわ)く、およそ地に絶澗(ぜっかん)天井(てんせい)天牢(てんろう)天羅(てんら)天陥(てんかん)天隙(てんげき)あらば、必ず(すみや)かにこれを去りて近づくことなかれ。われはこれに遠ざかり、敵はこれに近づかせ、とある。

 また囲師(いし)には必ず()き、窮寇(きゅうこう)には追ることなかれ、とも。


 これは、敵と戦うなら 脱出困難な場所に追い込め。

 決死の反撃を()ける為、一方向に逃げ場を作れ といった意味合いだ。


 ……逃げ場など、作ってやるつもりは無いが。


 慌てたように雪村が言い訳し出した。細い肩が(かす)かに震えているのが、両の掌から伝わってくる。

 怖がらせ過ぎたかと(ひる)む気持ちもあるが、ここで和睦の策に乗っては元の木阿弥(もくあみ)だ。



 手放したくないと望んでいる娘に「自分に構うな」などと言われては 心が(こお)る。

 二度とそのように(たわ)けた事を言い出さぬ様、思い知らせておくべきだろう。


 何故、そのように残酷な事を平気で言えるのか。

 答えは簡単だ。

 この娘が、(おのれ)を『自分は雪村だ』と(かた)っているからに(ほか)ならない。


 いいか、良く聞け。私は『雪村』を好いている訳では無い。


 お前だ、娘。



 意を決して、兼継は静かに言い放った。


「いつまでも私を(たばか)れると思うな。お前は雪村ではない」



 ***************                *************** 


 一晩が過ぎて。

 多少の落ち着きを取り戻した兼継は、怒りにまかせて雪村を追い詰めた事を、後悔し始めていた。


 手放したくなくて突きつけた真実のせいで、手放す事になるかも知れない。


 あの娘は、都合が悪くなるとすぐ逃げる。

 このまま兼継から離れようとするかも知れない。

 それも当たり前か。

 本人にとって、何に代えても隠し通したいであろう秘密を、怒りに(まか)せていきなり突きつけたのだから。


 それを思うと兼継の気は(ふさ)いだ。

 時期尚早(じきしょうそう)だったかも知れぬ。せめてあの、同じ世界から来たという男……桜井の意見を聞いた上で、(しか)るべき時に、驚かせぬよう伝えるべきだったか。


 もしもこのまま、雪村が離れてしまったら。


 これでは仕事になるまいと登庁を取り止めたが、書籍を手にしても筆を手に取っても、心が千々(ちぢ)に乱れて何も手に付かない。

 書くべき事が浮かばぬまま、兼継は(すずり)に筆を置いた。


 もしそうなってしまったら、それは(おのれ)の失策だ。

 これ以上、追い詰める事も怖がらせる事もしたくはない。大人しく引き下がろう。

 想いが叶わぬ事など今更(いまさら)だ。


 そしてこうなった以上、『元の身体に戻る方法』を兼継に求める事も無いだろう。


 ならばこのままか。

 もしくはいずれ、どこかに嫁入りした()りにでも、戻る機会があるやも知れぬ。

 だがそれは最早(もはや)、兼継の(あずか)り知るところではない。


 落ちかかった前髪を()き上げ、兼継は吐息をついた。

 指を組んだ手を、祈るように額に押し当てる。


 雪村が、兼継を(おそ)れて()けるか、腹を(くく)って話を付けに来るか。

 ――おそらくは、今日が岐路(きろ)だ。



 ***************                ***************


 侍女に案内され、(おそ)る恐る部屋に入ってきた雪村を、兼継は心からの安堵(あんど)を苦笑に変えて迎え入れた。


「思ったより遅かったな。朝駆(あさが)けしてくるものと思っていたぞ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ