159.五年前の経緯と執政の逆鱗2
「どうした? こちらに来ていたのか」
待ち伏せていた私を見て、兼継殿は驚いた顔をした。
言いたくない事を言わなきゃならないのに、早く来ちゃって申し訳なかったかな?
私はなるべく気楽に見えるように へらりと笑った。
「はい、桜姫に呼ばれましたので」
「……そうか。そちらの話はもう終わったのか?」
若干、返事に間があった。兼継殿にしては珍しい事だ。桜姫はすごく嬉しそうに教えてくれたけれど、本人的にはやっぱり話したくないんだろうな。
「雪村。お前に話しておかねばならぬ事がある。五年前、お前が甲斐に戻った経緯についてだ」
立ち話で済ますには長い、邸へ、と誘われて、私は慌てて首を振った。
みなまで言うな、と右手を上げて、兼継殿の言葉を押し止める。
「お待ちください、兼継殿。その件に関しましては、桜姫から経緯を聞きました」
「それならば、ますます誤解は解かねばならぬ。いいから黙って聞いてくれ」
「五年前の件は、首藤殿から庇って下さったのだと聞きました。兼継殿、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「……いや、お前が謝る事など 何もない」
桜姫から何て聞いていたのかと戦々恐々としていたみたいだけれど、ぺこりと頭を下げた私の様子で、ちょっと安心したみたいだ。
死にそうだった顔色が 少し良くなっている。
小さく吐息をつく兼継殿を見上げていると、ふと胸が痛くなった。
私はいつも兼継殿に、心配や迷惑をかけているな。そう思うと本当に本当に申し訳なくて、今回の件に限らず、全部、全力で謝罪したくなった。
「ずっと不思議だったのですが、これでやっと腑に落ちました。前に兄上に、私が元の身体に戻らなかったら直枝家に迎える、とまで言って下さったそうですが、あれも今回の件に起因していたのですね。私が五年前の見た目に戻ってしまったから。首藤殿に見つかっては事だと」
「……? 何を言っている?」
「でももう私は、兼継殿の庇護が必要な子供ではありません。自分の身に降りかかる火の粉は自分で払います。どうぞ私の事はお構いなく」
兼継殿がじっと私を見返してくる。
感情が読めない瞳を見ていると、どんな顔をしていいか判らなくなって、結局私は目を逸らして俯いた。
前に大阪で観楓会が催された時。
酔った兼継殿が、兄上に「雪村が元の身体に戻らなかったら、責任をとって直枝家に迎えたい」って言った事がある。
そもそも兼継殿が責任を取らなきゃならない事なんて何もないし、疲れて酔った上での出来事だから『気の迷い』でスルーしていたんだけど。
桜姫から聞いた話でやっと解った。
雪村が五年前の見た目に戻っちゃったから、心配して前みたいに庇ってくれようとしてたんだ。
首藤殿は『雪村の顔が好き。男でも構わない』なんて平気で言う怖い人だもん。
でも、もうこれ以上、迷惑はかけられないよ。
縁組ともなれば、ホモの偽装とは訳が違うし、兼継殿は桜姫の攻略対象だ。
それに私だって今は『越後の人質』って訳じゃないし……
もやもやと考え込んでいたら急に肩を掴まれて、私はびっくりして顔を上げた。
「己の力を過信するな、と前に言った筈だが。忘れたか?」
怖い顔で兼継殿が 私を見下ろしている。
ほ、ホモ偽装はスルーして、ちゃんと庇ってくれてた事にお礼を言った筈なのに、私は何の地雷を踏み抜いたんだろう。
あまりの迫力に思わず後ずさったら、とん、と背中が塀に触れた。
掴まれた肩を塀に押し付けられて 逃げ場がない。
何をそんなに怒らせたのか解らなくて、私は茫然と兼継殿を見上げた。
「この程度も振り払えずに、どうやって己に降りかかる火の粉を払うつもりだ? 「構うな」などと、よくも言えたものだな」
静かな声に、やっと合点がいく。
あ、地雷ってこっち? 偉そうに言い過ぎたってこと??
「申し訳ありません。今のは言葉の綾と申しますか…… 兼継殿にはご心配をおかけしてばかりなので、もうこれ以上は」
慌てて言い訳した私を遮って、兼継殿が静かに私を見据える。
「いつまでも私を謀れると思うな。お前は雪村ではない」