150.安芸返信2
「姫さま、大人しくお団子を食べていて下さいませ!」
「ちょっと覗くだけじゃないの。大袈裟ね?」
うふふと可愛らしく笑っているが、瞳の鋭さは猛禽類のそれだ。
老女が席を外して間もない姫の部屋では、老女の部屋へ盗み聞きに向かおうとする桜姫と、それを止める侍女衆との攻防が繰り広げられていた。
「これがバレては我々一同、身の破滅にございます!」
悲鳴のような制止に、桜姫もふと我に返る。
兼継にバレただけでも十分に身の危険を感じる案件だが、これに加えて老女の神鳴のようなお小言が追加されるとなれば、なかなかに気が重い。
これはあえて危険を冒すべきではない。
「仕方がないわね。貸しひとつよ?」
「ありがとうございます、姫さま!」
冷静に考えれば貸しでも何でもないのだが。
桜姫はありもしない恩を擦り付けて、侍女衆の言葉に従った。
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「桜姫」
大人しく団子を頬張った後、暇に任せて庭園を散策していた桜姫を呼び止めたのは泉水だった。御殿と奥御殿を隔てる垣根越しに、ちょいちょいと手招きする。
「兼継、こっちに来てる?」
「ええ、老女のところに居ると思うわ。何かご用?」
「いや、兼継に用がある訳じゃないんだ。俺としては、どっちかって言うと『桜姫に用事』かな」
苦笑いで顎を掻く泉水を、桜姫は不思議そうに見つめた。
このような事を言われたのは初めてだ。
「わたくしに?」
「はい。五年前に雪村が甲斐に戻された経緯についてですから。老女はそうは考えていないみたいだけど、兼継から話させるのは酷だ。出来たら、幼馴染で親しい姫の方から伝えて欲しいんですよ」
ふと目を伏せた桜姫が、緩みかけた口元をそっと隠す。
泉水の眉がぴくりと跳ねた。
「……それはわたくしに、『兼継殿の弱味』を教えて下さるってこと……?」
「すいません。今の話はナシで」
「冗談、冗談よ? わたくし、ここはひとつ私怨を乗り越えて、泉水殿の信頼に応えるわ? 男に二言はなくてよ??」
「姫は女性ですよね?」
垣根越しに、何時までも馬鹿話をしている場合でもない。
桜姫は控えていた侍女に目配せし、泉水を部屋へと誘った。
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「安芸から、これが届きました」
老女から手渡された文に、兼継は無言で目を通した。
荷物の整理をしていたら、老女から借りていた簪が出てきた事。そして長い間、返し忘れていた無作法を詫びる文言に続き、最後に「兼継にも宜しく伝えてくれ」と締め括られている。
それは当たり障りのない内容にしか見えなかった。
『雪村が一度、相模に行っている』という前提がなければ、ではあるが。
「何かあれば『越後の雪』宛てに連絡を」
そのように取り決めたと聞いている。この遣り取りは、どう見ても不自然だろう。
「それとこれを。言うまでもありませんが、私は安芸に簪など貸してはおりません」
簪を包んでいた藤色の布地を、老女は丁寧に解いた。
銀細工の平打簪で、薄く平たい円形の装飾面には、百日草の意匠が彫られている。よくみると、飾りと棒の境目には糸が括り付けられていた。
「藤色の布、簪の首に括られた糸、そして百日草の簪。何か思い当たりませんか?」
じっと見返す老女を見返し、兼継は小さく息を呑んだ。
一連の意味に察しがついて、やっと雪村宛てでない事に合点がいく。
「「首藤に注意せよ」との報せですね。もう見つかりましたか」
百日草の花言葉は『不在の友を思う』そして『注意を怠るな』。
その簪の『首』に括られた糸と包まれた『藤』色の布地。一見そうと悟られないよう、首藤を表したのだろう。
「そうね。こんなに早々と見つかるなんて。私の見通しが甘くて、貴方には申し訳ないことをしたわ」
そっと目を伏せた老女を、兼継は若干の警戒を持って見返した。
剣神公亡き後の奥御殿を仕切るこの老女が、このように慎ましく反省するなど。
何か裏があるのではなかろうか。
やがて反省の真似事に飽いたらしい老女は、きりりと目線を上げて兼継を見返した。
「こうなっては仕方がありません。貴方も腹を括りなさい。今すぐ雪村をここに呼び、五年前の経緯を洗いざらいぶちまけるのです!」
「それはそのうち、折を見て!」
「ええい。それでも貴方は剣神公の教えを受けた越後の義人ですか! そのような優柔不断に付き合った挙句に今があるのです! 待つこと罷り成りません!」
「急いては事を仕損じる、とも申します故!」
「五年も引き伸ばしたでしょう。もう十分です! 貴方が話さないのなら私から話しますか!?」
猛り狂う老女に引導を渡され、兼継は言葉も無く、がくりと項垂れた。