135.【番外編】安芸追憶 5 ~side A~
『越後の雪』から届いた文を文箱に仕舞いながら、私は考えます。
これが雪村なら「会わない」という選択肢などありえません。代行の侍女が寄越されるのかも知れませんが、雪村のために私に出来る事があるのです。
ぜひ会いたい旨を文に認め、私は再び返事を待ちました。
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小田原に市が立つ日。私は少し緊張しながら城下へと出掛けました。
簡単に約束をしましたが、小田原の市は人出が多いので無事に会えるか心配です。
だって私は『雪』の外見を知らないのですから。
私は『白紬の女性』という情報だけを頼りに、市を探し始めました。
しかし白い着物の女性など、いくらでも歩いています。
今年は五年に一度の『白桜祭』という、夏桜を愛でるお祭りがあった事もあり、白い着物が大流行していたのです。
真木の旗印でも担いでくれていれば楽なのに。
詮方無き事を考えていると、近くの茶屋から揉めている声が聞こえてきました。
どこか聞き覚えのある声に顔を向けると、女の子の腕を掴んで強引に連れて行こうとしているのは、お城でお見かけする事がある難波殿でした。
城下警邏の任を拝命している父の配下になりますが、「職務中にも係わらず、城下の女性に構う事が多い」との苦情も寄せられている御仁です。
「私ではありません」
必死で抗議している少女は、盗人の疑いを掛けられたようです。
『難波殿は、気に入った女性に、盗人の濡れ衣を着せて連れ出すらしい』
話には聞いていましたが、実際にそういった現場に出くわすのは初めてでした。
「私の連れに何をするつもり?」
父が頭を抱えている事もあり、私は咄嗟に、そのいざこざに割り込みました。
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「ありがとうございます。助かりました。安芸殿」
ほっとした表情で雪村が笑います。
まさか絡まれていた女の子が『越後の雪』だとは思いませんでしたが、それ以上にその娘自身が『病で女性の身体になった雪村』だという事に私は驚きました。
よく見ると、五年前の雪村の外見そのままですが、薄化粧を施した可愛らしい顔も、白花を挿した絹糸のような髪も、どこから見ても可憐な少女にしか見えません。
そのような病が本当にあるのでしょうか。
しかし私は心のどこかで、然もありなんとも思いました。
これはきっと神様が、兼継様にご褒美を与えたのだわ。
五年前、ご自分の評判を落としてまで庇った雪村は、結局甲斐へと戻されました。
それが本意では無かったらしい剣神様が、溜め息をついて言ったのです。
「雪村が女童だったら良かったのにね。兼継もあのような策を使う必要も無かったし、いざとなれば政略結婚って手があったのにさ」と。
きっと天に戻られた剣神様が、そのように差配なさったのです。
「安芸殿もあまり驚かれないのですね。越後の方たちは皆そうです」
雪村は、さほど驚いていない私たちを不思議に思っているようだけど、それはきっと皆、私と同じように思っているからよ?
ただ雪村は、つい最近まで男子だったせいか隙がありすぎです。おそらく先程の難波殿の件だって、単に窃盗の疑いを掛けられただけと思っているのでしょう。
兼継様は今も気が気じゃないでしょうね。紅を拭った程度では、男子の視線を躱す事など全然無理です。
それに選りに選って、この外見の雪村を相模に寄越すなど。
だってここには、首藤殿が居るのですから。
きっと雪村は、兼継様を出し抜いてここへ来たのだわ。兼継様が今、どんなに越後でやきもきしているかなんて、解っていないのでしょうね。
そう思うと少し可笑しくなりました。
再会してからの雪村は、ちょっとだけ兼継様に逆らう子になったようです。
でも兼継様は、神様にご褒美を貰ったのだもの。それくらいは振りまわされれば良いのだわ。
そしてふと思います。
私は昔の雪村とは違う、ちょっぴり反抗的なこの『雪村』に命を救われたのではないかしら?
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雪村の用件は「東条で『沼田に関する噂』が出ていないか教えて欲しい」というものでした。
最近は聞いた事はありませんが、上森と武隈の戦の折りには、確かにそう言った話がありました。
沼田城は東条・上森・武隈の領土の、境界線上に位置する城です。
武隈の支配下に置かれる前は東条方の城でしたし、真木が獲っていなければ 武隈滅亡のどさくさで、東条が一番最初に狙った城でしょう。
城代だという雪村が、警戒するのは当たり前です。
「いよいよ私も間者のお仕事再開ね。期待していてちょうだい」
緊張している雪村を安心させようと、私は胸を張って請け負いました。
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そのまま別れるのが惜しくて、私は市の散策に、雪村を誘いました。
外見は出会った頃の雪村そのままですし、ちょっとだけ逢い引き気分を味わいたくて。それに女子同士なら、気安く話せそうです。
焼きたてのお煎餅を食べながら並んで歩いていると、雪村が母の体調を聞いてきました。
「相変わらずね。もともと身体の弱い方だから。最近は夜になると咳き込んでいて、少し心配なの」
私としては母の具合が悪いのは日常で、こんな話も世間話の範疇のようなものですが、雪村はとても心配そうでした。
「今、沼田に湯治の温泉と療養所を作りたいと思っているところです。まだ先になりますが、是非いつか母上様といらして下さい」
柔らかく微笑んで 気遣ってくれます。
雪村は優しいのね。
何だか神様の思し召しだとしても、兼継様に渡すのは惜しい気がします。
どうか雪村が、いつまでも兼継様に反抗的でありますように。
そう願った私は意地悪なのでしょう。
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今後の連絡の取り方を確認した後で、私たちは別れました。上野は遠いですから、この姿の雪村を、夜遅くに出歩かせる訳にはいきません。
別れを惜しむ私に手を振り返していた雪村が、前からきた男にぶつかりかけました。
寸でのところで躱し、謝罪したのでしょう、その男を見上げて何事か話しかけてから、口の動きだけで『大丈夫です』と伝えてきます。
男の横をすり抜けて行く雪村と、茫然と見送る男を見つめたまま、私は動けませんでした。
小田原城下は広いのに。
出会う確率など万にひとつも無いと思っていたのに。
何故、よりによって。
雪村がぶつかりかけた男は 首藤殿でした。