132.【番外編】安芸追憶 2 ~side A~
その後、あの子は『真木雪村』という、武隈から来た人質の子だと知りました。
人質の子は、影勝様の小姓のひとりが世話をしているのは知っていましたが、会う機会が無かったのです。
私の父は 陰虎様の側近でしたから。
ある時、私は剣神様のおつかいで、当時は“樋内殿”と呼ばれていた兼継様を鍛錬場まで呼びに行き、あの子と再会しました。
兼継様は、名門である直枝家に養子に入られるまでは、生家の『樋内』姓を名乗っていたのです。
「解った。雪村、私はもう行かねばならない。お前はこのまま鍛錬を続けてくれ」
用件を伝えると、兼継様は背後を振り返り、剣術の手合せをしていたあの子に声をかけました。
この時に初めて知りました。あの子が言っていた『世話役』が兼継様だった事も、この子が『雪村』という人質の男の子だった事も。
兼継様は「風邪をひくなよ」と手にしていた手拭いを雪村に投げ渡し、すたすたと歩き出します。慌てて後を追いながら途中ちらりと振り向くと、私に気付いた雪村が小さく会釈してくれました。
覚えていてくれた、それだけで私は幸せな気持ちになりました。
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それから間もなく、私は父から妙な事を聞かれました。
「『樋内と懇意にしている侍女が奥御殿に居る』という噂など聞いた事はないか?」と。
影勝様の小姓である兼継様は、剣神様に呼ばれでもしない限りは御殿でもお見かけする事はありません。奥御殿となれば尚更でしょう。
そのように伝えると父は「ならば武隈からの人質で間違いないのか」と呟きました。
武隈からの人質……雪村の事です。
私は胸のざわめきを抑える事が出来ず、何事かと父に尋ねました。
「陰虎様気に入りの近習に首藤という男がいるんだがな。樋内が連れている子供に、甚く執心しているようだ。樋内と懇意にしている侍女でも居るなら、それと見間違えているのかとも思ったが……」
後半は耳に入りませんでした。私は慌てて父に申しました。
「でも父上、武隈からの人質は男子ですよ?」
「知っている。衆道など珍しくもないだろう。ただそれでなくとも陰虎様と影勝殿は事あるごとに啀み合っているからな。影勝殿の小姓が面倒を見ている子供に手を出すなど、燻った火種に油を注ぐようなものだ」
東条の大殿より 陰虎様の目付を言いつかっている父は、大きな溜め息をついています。
私は幾度か見かけた事がある、首藤殿を思い出しました。
狡猾な性格で 立ち回りが上手く、陰虎様にたいそう気に入られています。
しかしそれをかさに着ての傲慢な行動が目立ち、それを諌める父を軽んじる事もままあるので、私は好きではありません。
見目も悪くはないのでしょうが、狐狼に似た野性味のある……少し、怖い方です。
越後にだって綺麗な侍女はたくさん居ますし、綺麗な男性が良いなら すぐそばに陰虎様がいらっしゃいます。
いったいどうして首藤殿は、雪村に目を付けたのでしょう。
父は「首藤の煽りは いつも質が悪い」と呆れていますが、それをお諫めにならない陰虎様も陰虎様です。
嫌がらせでしかありません。
『武隈からの人質』に何かあれば、それを任されている影勝様の評価に直結します。
影勝様が武隈方に睨まれれば、跡目争いをしている陰虎様にとっては、何かと都合が良いのでしょう。
しかし何故そのような事に、雪村が巻き込まれなければならないの?
何とかしなければ。
私はそればかりを考えるようになりました。
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考えに考えた挙句、私は雪村に『花贈り』をする事にしました。
当時の越後では、いいえ、今も残っている風習なのですが、好きな異性に『恋』の意味を持つ花を贈る『花贈り』が流行っていました。
花言葉に想いを託して、恋のやりとりをするのです。
「雪村は女性と、花のやりとりをしている」
そう周知されているだけでも、首藤殿への牽制になると思ったからです。
狡猾なあの方なら『衆道は合意の上』と周囲に根回しくらいしかねません。しかし花のやりとりをしている相手が居るとなれば、さすがにそれは出来ないでしょう。
ですが私が雪村と会ったのは一、二度ですし、あの子は私の名前すら知りません。
そんな女が花を贈っても、逆に気持ち悪がられるような気がします。
首藤殿から庇おうとして雪村を怖がらせては本末転倒ですし、何より雪村に嫌われるなど、私が耐えられません。
私は身元を明かさずに、雪村の部屋の前に秋海棠の花をこっそりと置いておく事にしました。……いくら首藤殿が強引で傲慢でも、これならば非があるのは首藤殿。ひいてはそれを止めなかった陰虎様にある事になります。
一緒に鯉を見た秋の庭園に咲いていた『秋海棠』。
気持ち悪がられたくないけれど 私からだと察して欲しい。
そんな想いで贈った花の花言葉は『恋の悩み』でした。