128.相模遠征2
相模に市が立つ日が来たので、私はまず越後に向かった。
ほむらがいなかったら、無茶苦茶な行程だ。
まだ秋だけど白の紬で大丈夫かな、ってちょっと心配していたら、侍女衆が淡紫の衿を重ねてくれた。
菊重という秋の配色らしいけど、紬の柄の色とも合っていて いい感じだ。
現世でいう『襲』って確か、薄い絹越しに色を透かした『裏表のかさね』と襟元や袖口にいろんな色が重なっている『重ね着のかさね』があった筈だけど、こっちの世界ではどうなっているんだろう。
まあいいか。
着物のお洒落な着付けは私じゃ無理だから、遠回りだけど寄って良かった。
お礼を言って立ち上がりかけたら、老女に呼び止められた。
「まだ少しもの足りないわねぇ。ちょっと御化粧をしましょう」
そこまでやる?
桜姫と顔を見合わせたけど、越後では老女の言は絶対だ。
私は大人しく座りなおした。
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「何から何までありがとうございました。では行って参ります」
「道中気を付けて。安芸によろしくね」
桜姫と侍女衆に見送られ、庭を抜けて表へ出たら、ちょうどそこに兼継殿と泉水殿が通りかかって、ばっちりとかち合ってしまった。
「あ、兼継殿、和泉殿」
誰? って顔をして首を傾げる泉水殿と、微かに眉を顰める兼継殿。
「雪村か?」
「ゆ、雪村なの!? 本当に!?」
老女の化粧技術、なかなかのモンでしょう? 気をよくして、やたらと驚いている泉水殿に挨拶していると、兼継殿がずかずかと近づいてきた。そして。
「女性の身体になった自覚を持てとは言ったが、女装をしろとまでは言ってないぞ」
そう言って私の顎を掴み、ちょっと乱暴に口元を拭った。
紅花の紅が、兼継殿の指を赤く汚している。
せっかく綺麗に塗って貰ったのになぁ、ぼけっと兼継殿を見上げていたら、怒っているのか顔が赤い。
兼継殿の言う『女性の自覚』って、ありすぎても無さすぎても駄目みたい。
何だか難しいな。
化粧した私をがっつり睨みつけた後で、兼継殿は つんと顔を逸らした。
「こんな仮装をして、今度は何事だ」
仮装とは聞き捨てならないけど、まあそれは置いておいて。
ちょっと怒ってる風の兼継殿に、これは言ってもいいものだろうか。でも後でバレる方がもっと厄介だから伝えておこう。
「安芸殿に会いに。ちょっと小田原まで行ってきます」
「「小田原!?」」
何故か兼継殿と泉水殿の声がハモった。
「安芸殿」の方に反応すると思っていたから予想外だよ。おまけに泉水殿まで驚いている。
これはもたもたしてると不味いかもしれない。
何か言いかけた兼継殿の手を振り切って、私は慌てて逃げ出した。
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小田原城下はとても広い。
町全体を土塁で囲った城下町は お店も田畑も内包していて、籠城戦になったらいくらでも耐えられそう。
上田城も城壁内に家屋や寺があるけど、小田原は規模が全然違う。
月に二回立つという市も人がとても多くて、油断していると人混みに流されそうになる。私は安芸さんを見つけられるか、ちょっと心配になってきた。
端にある茶屋で張り込んでいよう。通りかかったらすぐに見つけられるように。
安芸さんは女の雪村を知らないんだから、私が見つけなきゃ永遠に出会えない。
お茶をちまちま飲みながら通りに目を配っていると、隣に座った男の人が、茶屋のお姉さんに「団子ふたつ」と声をかけているのがふと耳に入る。
あ、私もお団子くらい頼めば良かったかなーとちらりと思いながらそのまま通りを見ていると、しばらくしてとんとんと肩を叩かれた。
「?」
振り返ると隣に座っている男の人が、困り顔で団子の皿を指さしている。
指された皿を見ると、食べられた後の串が一本、お団子と並んで置かれていた。
「ねえ、僕のお団子、食べちゃったでしょ?」
「私ではありません」
「嘘は良くないよ。だって君、お団子頼んでないでしょ? 最初ッから隣のお団子を失敬するつもりでいたんじゃあないの?」
どんな理屈なのさ!?
違います、と言う私に構う事なく、男の人は私の腕を掴んで立ち上がった。
「それじゃお奉行さまに裁いて貰おうかなー。ちょっと一緒に来て」
戦国時代でまさかの万引き濡れ衣!? この時代じゃ防犯カメラなんてないよ。
どうしよう!??
「私の連れに 何をするつもり?」
横合いから低い声が聞こえて、私と男の人は同時に顔を向けた。
そこにはすっとした細身の女の人が立って居て、こちらを睨んでいる。
「安芸さ……」
ほっとして呼びかけたら、私よりも先に男の人が「安芸殿!」と仰天した。
そんな男の人を見遣って、安芸さんがあら、といった顔になる。
「誰かと思えば難波殿ではありませんか。今日は非番なのでしょうか? 市中警邏の武士が勤務中に茶屋で一服。挙句、領民に盗人の濡れ衣を着せるなど、父が知れば何と思うか」
「濡れ衣……いえ濡れ衣などでは……現にこうして団子が」
しどろもどろの男の人に、安芸さんがにっこりと微笑んだ。
「大の男が、団子のひとつやふたつで騒ぐのもどうかとは思いますが。口の端に餡がついておりますよ?」
「!!」
即座に口を拭った男の人が 慌てて逃げていく。
私は唖然とその後ろ姿を見送った後で、安芸さんに向き直った。
「ありがとうございます。助かりました、安芸殿」
「いいえ、どういたしまして……え!?」
改めて私に向き直った安芸さんが、にこりと返事を返した後で仰天した顔になる。
どうやら私だと気づいて助けてくれた訳じゃないみたいだ。