122.打診と打算と姫の災難3 ~side K~
「そう。これといった情報は見つかりませんでしたか」
日ノ本津々浦々の書籍が集められた図書寮の、あの膨大な量の書物を全部調べたのか。それならその疲れた表情にも納得がいく。
兼継が越後に戻る前に、と信倖に誘われた酒宴での席上。
消沈した兼継の表情につられたかのように、美成も神妙な顔つきで頷いた。
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今年の夏、『雪村が突然女性になる』という珍事が起きて数か月が過ぎた。
そして未だ、元に戻る兆しは無い。
「雪村を元に戻す方法を探したい。延いては大阪の図書寮にある書籍を検めたいのだが、許可を得られないか?」
そう兼継から美成に問い合わせがあったのは夏の終わり。そしてそれからひと月。望む結果は得られなかったようだ。
しばらく沈思した後で、美成が重い口を開く。
「肥後に加賀清雅という男がいます。奴は大陸に渡った事があり、現地の様々な伝承に精通していたはず。……君が望むのであれば、仲立ちをしますが」
美成の精一杯の好意だっただろう。その時その場に居なかった兼継の元にも、美成と加賀の確執は伝わっている。
元々は秀好の子飼いとして親しかった美成と加賀だが、秀好の病を治すと豪語した加賀がそれに失敗し、美成が公衆の面前で酷く罵倒したのだと言う。
それ以来、疎遠どころか険悪な間柄になっているのは有名な話だ。
「いや、それには及ばない。また他の方法を考えるさ」
美成にこれ以上の気遣いをさせまいと、兼継は微苦笑した。
だが根を詰めすぎたのか、声にも表情にも疲弊が滲み出ている。
「兼継、本当に疲れているみたいだよ。あまり無理しないで」
信倖が兼継の手元の杯に酒を注ぎながら、ぽんと肩を叩いた。
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「そもそもこんな事がありえるのか! 何がどうなれば男が女に変わるというのだ!?」
ぱしんと膳を叩いて、兼継は項垂れた。
まずい。
酒に弱い訳ではないはずなのに、疲れのせいか今日の兼継は酒の回りが早い。
信倖と美成は顔を見合わせた。
「……だとしたら私のせいだ。何と言って詫びれば良いのか」
愛染明王の憑代。その自分が望んだから雪村がこんな事になったのでは。
そう思うと兼継はやり切れなかった。
項垂れた兼継の肩に手を置き、信倖は何と言えばいいのか分からなくなっていた。
こんなに友人が弟の為に骨を折っていたというのに、その間、当の雪村はのほほんと「温泉が湧いた」とはしゃいでいたのだ。
兄として申し訳ない気持ちでいっぱいになった信倖は、精一杯の明るい声を出す。
「何で兼継のせいになるの、そんなに思い詰めないでよ。それより僕は、今の雪村の身体を見た訳じゃないからね。本当に女子になってるの?」
信倖は深い意味もなく言ったのだろうが、美成はぎょっとして杯を取り落としかけた。
落ち着け兼継。兄の前で滅多なことは言うな。
嫁入り前の妹であっても修羅場だろうに、嫁入り(?)前の弟となると、もう想像の範囲から外れすぎて 的確な返しなど微塵も浮かばない。
そんな混乱した事を考える美成の耳に、信じがたい台詞が聞こえてきた。
「雪村はそう言っていたが」
……ん?
「「君、見てないの!?」ですか!?」
奇しくもハモり、信倖と美成は再び顔を見合わせた。
(『無体を強いてない』なら合意だと思ってたけど違うってこと!?)
(てっきり行くところまで行ったと思い込んでいたが、そうではないという事か?)
お互いから視線を外し、信倖と美成はもう一度、兼継を凝視した。
(確認したいけど、美成の前では聞きづらい)
(確認したいが、兄の前で下手な答えが返ると不味い)
そして二人は内心、同じ事を考えた。
『それなら雪村の件は、責任を感じなくてもいいんじゃないだろうか』
二人の思惑を知ってか知らずか、酔った風体の兼継が信倖をはたと見据える。
「信倖、私は前に「雪村を元の身体に戻す方法を見つけるまで、今しばらく待って欲しい」と言った。だが思いのほか長丁場になるかも知れぬ」
「それは」
信倖がどうこう言える立場ではなかった。
『上森の敷地内で起きた』
たったそれだけの理由で、兼継はここまで動いているのだから。
挙句に『責任を取らなければならない事などしていない』となると、信倖は兼継に対しての申し訳なさで身が竦む思いだった。
「兼継、君がしなくていい苦労をさせてごめん。僕に出来ることがあれば何でもするから言って欲しい」
恐縮している信倖を、兼継がじっと見返す。そして徐に切り出した。
「ではひとつ相談がある。聞いて貰えるか?」
「なに? 何でも言って?」
「これは上森の敷地内で起きたことであるし、お前から預かった弟をこのようにした責は私にある」
「そんな事ないよ! あの時は僕も混乱してたし、君に厳しい事を言ってしまった。申し訳ないと思っている」
「いや、それはいいんだ。兄としてのお前の気持ちは解る。だが手をこまねいている現状、今の雪村に何かあれば私の責任だ。だがあれは自覚が足りない。私はそれが心配なのだ。現にお前の乳兄弟の件もある故な」
「……」
信倖の乳兄弟の件とやらは初耳の美成だったが、ぎくしゃくしている信倖と、酔った振りをして絡んでいる兼継を交互に見遣って経緯を見守る。
今までに無く真剣な表情の兼継が、信倖の肩に手を置き、ぐいと引き寄せた。
「責任を取りたい。もしもこのまま雪村が戻らなかったら、直枝家に迎えることを許してくれるか?」