117.家臣の疑惑
ひととおり、領内を見終えた私と小介は、南の林に来ていた。
森月と隠し湯プロジェクトチーム(仮)は着々と、温泉の整備を進めている。
だんだん形になってきたなー。よし、ここは湯治用に開放しよう。
今年の普請役(「労働で収める税」の事ね)は湯治場の建設をお願いしようかな。冬期間なら畑仕事も無い訳だし……領民の癒し用温泉も、そのうち整備したい。
そんな事を考えていると、一緒に見ていた小介がうきうきした声音で聞いてきた。
「雪村様。ここの湯には、もう浸かったんすか?」
「いや? まだだよ」
「いやあ、温泉っていいっすよねぇ。こう……予期せぬびっくりどっきりを期待しちまうというか……?」
言っている事が桜井くんと丸かぶりだけど、これが『男の浪漫』ってやつなんだろうか。
うーん、そういうもんかね。少なくとも私は男の「温泉でびっくりどっきり!」に浪漫は感じないけどな。
この時代の男の人なんて、みんな鍛えているからムッキムキだもん。筋肉自慢している絵面しか想像できない。
おまけに下着はふんどしですよ、ふんどし。見たいですか!? 乙女ゲーム的に。
まあいいや。
「そうだね」
「うわあ! 気のない返事ぃ」
相槌を打つと、小介が両手で頭を抱えて蹲った。
こんなノリはいつもの事だから聞き流していると、小介がちろりと見上げてくる。そしてそのまま目を逸らし、ぽつりと呟いた。
「雪村様ってさ、ホントは女の子でしょ」
思わず小介を見下ろしたけど、頬杖をついた恰好でしゃがんでいる小介は、遠くを見つめたまま何も言わない。
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小介が何も言わないので、私は聞き流す事にした。
「そういえば、焼きまんじゅうが上野の郷土料理だって聞いたんだ。どこかおいしいお店しってる?」
「雪村様、聞き流しすぎぃ!」
さっきまでは全然喋らなかったのに、ツッコミの速度はやたらと早い。
勢いよく立ち上がって天を振り仰いだ小介を、私もつられて見上げた。
下ネタに対するノリが悪いだけで「女の子でしょ」って言われてもなぁ。
何とも言いようがなく見上げていると、小介は小さく溜め息をついた。
ふざけていると思っていたのに、向き直った顔は真剣だ。
あれ? 私も表情を改めて見返す。
「ねえ、雪村様は何でこんな事になってんの? 『女子になる病』なんて、ホントにあるの? 俺には、雪村様にそっくりな女の子が来たようにしか見えないよ」
「私も、どうしてこんな身体になったのかは解らない。ただ、直枝殿が元に戻す方法を探してくれるって言ったから、それを待とうと思う」
「そこなんだよなぁ」
小介が頭を掻きながら、ちょっと情けない顔をして目を逸らす。
何を言いたいのかがさっぱり解らない。
「直枝殿は本当にそのつもりはあるの? あんなに雪村様を女の子扱いして、六郎を牽制して? 俺には六郎がこんな事になったの、直枝殿の策に嵌まったとしか思えない」
すごい論理きたな! 私は苦笑して否定した。
「違う違う。兼継殿は昔からああだよ。あれは女子扱いじゃなく、子供扱いだ。昔の見た目に戻ったから、世話役だった頃の癖が出ているんだろう」
「雪村様、チョロすぎぃ……」
そんな私に溜め息をつき、小介は頭を掻いていた手で額を抑える。
先刻までは情けない表情でわからなかったけれど、指の隙間から見える目が真剣だって事に、今更気づく。
「信倖様が、雪村様を疑わないのは解るんだ。兄だから。性格や雰囲気なんかは全然変わってないしさ、何て言うかな……雪村様を『異性』として見ようがない、っつーの? 六郎だって雪村様を『女』だと意識してるから、ああなってんだしさ。じゃあ直枝殿ってどうなの?」
「……何が?」
小介が何を言いたいのか解らないのに、聞いたら不味いって危機感だけがじわじわと広がっていく。
「あのね、こんな事はあんまり言いたくないけど。雪村様が『女性』だとさ、やっぱり利害関係とか利用価値とか、いろいろとある訳よ。六郎の立場だと『主家の姫』を降嫁されるなんて、すっげえ名誉な話だしさ。上森のお殿様に真木の姫じゃあ、少し家格が釣り合わないかな、って感じになるけど、執政なら釣り合うっていうか…… そもそもあの人、米沢に領地安堵されてるんでしょ? 大名待遇だよ。上森としても真木の領地は、徳山との緩衝地帯にあたる訳だし、取り込んでおいて損はない。『越後の執政』なら、そこに利用価値を見出さない訳がないよ。信倖様はそんな事、ぜんっぜん考えてないみたいだけどさ」
「……それって、私がこのままのほうが、皆にとって都合がいいってこと?」
兄上だけじゃない。私だってそんな事、全然考えたことは無かった。
私を見下ろしたまま、小介が小さく吐息をつく。
「そうじゃなくて。今の雪村様は利用価値が高いから 気を付けてってこと。だって俺から見ても今の雪村様、隙だらけで心配よ? 俺は『男だった頃の雪村様』を知ってる。今ほど優しくない、いざって時はばっさり切り捨てる人だった。けっこう非情なとこもあったよ」
言われてふと、武隈との戦で安芸さんを斬ろうとした雪村を思い出す。
「だからさ」
雰囲気を和ませるように、小介がへらりと表情を崩した。
「俺でも気づいたんだから、たぶん直枝殿も『雪村様がすり替わっている』って事、気づいてるよ。それであえて泳がせてる。六郎じゃないけどさ、あんま信用しないで策略も疑うべきじゃない?」
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「雪村様、大丈夫?」
私はこの時、立ったまま気を失っていたのかも知れない。
小介に肩を揺すられて、私はふと我に返った。我に返って、反論する。
「そんな訳ないよ。だって」
だって……何だろう? 明確に反論できる要素がない。
兼継殿が何を考えているかなんて、本当は私、解ってない。
思い返せば武隈との戦の時。
間者だと露見した安芸さんを、雪村はあっさり殺そうとしていた。兼継殿も「雪村にそんな調略が出来るとは思わなかった」って言っていた。
私、安芸さんを殺したくない一心で『雪村』を演じきれていなかった……?
もしかして兼継殿はその頃から、おかしいって気付いていたの?
言葉が続かず黙った私に、小介が追い打ちをかける。
「だいたい雪村様を男だと思っているなら、女物の小袖なんて贈らないよ。雪村様も、それを疑問にも思わず受け取ったでしょ? 女の子だって暴露したも同然だよ」
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「俺は、信倖様が認めていて、真木の為に身体張ってくれる人なら誰でもいいよ」
小介はそう言って笑ったけど、私はどうしたらいいか解らなくなった。
兼継殿にバレてるの? それで泳がされている……?
だとしたら、何で?
言われてみると、思い当たる節が無いわけじゃない。気付かない振りをしたって、それが無くなる訳じゃない。
筆の先から墨がぽとんと落ちて、私は慌てて筆を硯に置いた。兄上と上洛の相談をしなければならないけれど、全然筆が進まない。
少し気分転換をしよう。
私は障子を開けて、大きく深呼吸をした。
庭には色づいた楓や大輪の菊が植えられている。真木邸とは趣の違う沼田の庭は、未だ余所のおうちに居るみたいだ。
上田城でも真木の邸でも、庭には実が成る木が植えられていた。
信厳公は冬期間の内職用に、楮や三椏を植えるのを推奨していたけれど、父上は「紙が食えるか。どうせ植えるなら兵糧になる木にしろ」って方針だったから。
ここもそうすべきかな。東条がどう出たとしても、最終的に沼田は兄上が治める事になる。
そうだ、東条。こっちもそろそろ真剣に、探りを入れなきゃならないんだった。
両手でぱちんと 自分の頬を叩く。
……やらなきゃならない事はたくさんあるし、こんな事で悩んでいられない。
兼継殿が何を思っていようと、私はこのまま雪村の戻りを待ちながら、『雪村』がやるべき事をやるだけだ。
小介の言を信じるなら、兄上は私を疑っていない。
それなら私は兄上の前で、完璧な『雪村』を演じきろう。
雪村の存在意義は『真木の為に戦うこと』だ。
「よし」
私は気持ちを切り替えて、文の続きを書くべく部屋の奥へと戻った。