114.桜姫と秘密のミッション1 ~side S~
「姫様! 越後の冬は長うございます。必ず……必ずッ! 雪が積もる前にお戻り下さいませ!」
必死の形相で、侍女衆が俺との別れを惜しんでいる。
理由は言われなくても判る。越後侍女衆の冬期間の内職である『写本』。
上方で開催される『冬之祭典』に卸す新作写本の製作が、行き詰っているのだ。
俺は侍女衆から秘密のミッションを一方的に託され、何も知らずににこにこ笑っている雪村とともに、鬱な気分を押し殺して越後を後にした。
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――今年の夏。
『雪村が女になる』という珍事が起こって以降、越後では若干の自粛ムードが漂っていた。
男の身体が女になったり、人格がひとつ消えたりしたら、さすがに『普段通り』って訳にはいかないだろうと、今なら判る。
当時の雪村は、少しの無理でも倒れまくって大変だった。
そして『其レヲ心配スル兼継ノ図』なんて、侍女衆からしてみれば垂涎のご褒美だったようだが、何事も度を過ぎるとよろしくない。
ふだんは泰然自若としている兼継が、顔色を無くしているんだ。
さすがに『これは面白半分にネタにしてはイケナイ』と悟ったらしく、キャッキャしていた侍女衆も一斉に自粛してしまった。
再度言うが、何事も度を過ぎるとよろしくない。
自主的に萌を封印した侍女衆の反動が、雪村の体調が落ち着いて、普段通りの生活に戻った今、大変な勢いで戻って来ている。
――『冬之祭典』に向けて。
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「姫さま! 先だって兼継様が坂戸城へと赴いた折に、沼田城にも立ち寄ったそうにございます。その辺りを是非詳しく!」
「兼継様が雪村に、贈り物をしたとの報せもございます。その辺も抜かりなく!」
……俺が初めて『薄い写本』を読まされた当初、雪村本は主流では無かったはずだ。いつの間にこんなブームに……?
「少し前までは、義兄上様のご本が多かったのではなかったかしら? 皆様の嗜好が変わったの?」
「まあ! 義兄上様の人気の心配をするなど、お可愛らしいこと!」
侍女衆が色めき立ったが 違う、そうじゃない。
「雪村が、本当に女子になりましたからねぇ」
老女が楽しげに ほほほと笑った。
『雪村本』は、女が男の振りをする『とりかえばや』ってジャンルだったが、それが実際に女になってしまった事で、別ジャンルで書いていた侍女まで参入してきた。
今までは『男装』カテゴリだが、『TS』にも対応可になったからな。
まぁ簡単に言ってしまえば、兼継だよ兼継。
今まで恋愛に興味なさそうだった執政サマが、庇護下にあった子供が女だと知れた途端に溺愛だ。そりゃ侍女衆は萌えるよ。
今までの雪村本は『女である事をいかに隠すか』がメインのハラハラ冒険物みたいなノリだったが、萌えに萌えまくった侍女衆は、全力で恋愛モノに軌道修正し始めている。
萌え上がった侍女衆は貪欲だ。
どうやって調べ上げたのかは知らんが、兼継がこっそり雪村に会いに行った事や、プレゼントを渡した事までバレている。
そして今回は俺が沼田に戻るにあたり、写本のネタを仕入れて来いとのお達しだ。
「そんな間者みたいな真似、わたくしには無理よ……」
抵抗はしたが、侍女衆は都合が悪くなると聞こえないフリをする。
「今の雪村なら、新しい『とりかえばや』が開拓できると思いますの……!」
「しかし惜しむらくは、雪村には、兼継様以外との接点が無いこと……!」
「一体誰と絡めれば……? そこが『写本』の腕の見せどころとは言え……!!」
おい。さんざん坂戸だ贈り物だと聞いといて、兼継で書くんじゃないのかよ。
フィクション書きたいんだかノンフィクション書きたいんだか解らんが、写本とは本来、そういうものじゃないと思う。
ぎりぎりと臍を噛む侍女衆にツッコめるはずもなく、俺は慎ましく沈黙を守った。
とにかくこの滞在で『薄い写本』のネタを掻き込まなければ、『冬之祭典』に新刊が出せない。
それ即ち、越後の冬の副収入・大激減。
それでも譲れないものはある。雪村は友達だ。友を売る訳にはいかない。
「……いやよ。雪村に悪いわ……」
男ならこれだけで絶対服従を誓うであろう、必殺の魅了攻撃・『可憐な憂い顔』で拒絶してみたが、女にはもともと、この攻撃には『無効』のスキルが備わっている。
「なにをたわけた事を」と言わんばかりに、侍女衆は俺を笑い飛ばした。
「しかし姫さま。これは姫様の、冬のお饅頭代ですよ?」
「!?」
「働かざるもの 食うべからず。姫さまは、おやつなしの生活に耐えられますか?」
「!??」
……俺はスパイを承諾することにした。
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「上田に寄っていくのか?」
「うーん。今回はいいかな」
雪が苦笑して素通りした時はおかしいとは思ったが、それは俺が居ない間に、六郎が上田に戻されていたからだった。さらに信倖から「暫く立ち寄るな」と厳命されていた事も後で知った。
あのボンクラ兄貴が動くとは、いったい何があったんだ。
「六郎はどうしたの?」
さり気なく探りを入れたら、根津子と小介は顔を見合わせて吐息をついた。
「分を弁えずに、越後の家老様に嫉妬なんてするからです。馬鹿ですよねぇあいつ」
「適当な部屋に押し込んでからやりゃあいいのに、縁側なんかで仕掛けるからすよ。馬鹿ですよねぇあいつ」
小介の台詞が不穏だが、兼継が沼田に立ち寄った後で、六郎が何かやらかしたってのは分かった。
……が兼継。六郎の牽制に来て雪を危ない目にあわせたなら、本末転倒だぞ。
これは『薄い写本』のネタになりそうだが、六郎はフツメンのモブだしなぁ……需要あるかな。
とりあえず雪村が男に戻ってないなら、大したことにはなってない。
安芸といい六郎といい、雪はモブにモテるなあ!
主人公姫のくせに恋愛フラグが軒並みブチ折れている俺とは、えらい違いだ。
好きなモノを愛でている時の気持ち=「萌え」
好きなモノを全力で応援したい気持ち=「推し」
……だと個人的に思っているので、「萌え」なんて最近使われてないよなーって気がしますが、あえて使います。